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日本代表 5年前

92年ダイナスティカップ。カズが覚醒した韓国撃破。日本に新たなストライカーが生まれたJリーグ開幕前夜【私が見た平成の名勝負(1)】

シリーズ:私が見た平成の名勝負 text by 藤江直人 photo by Getty Images

「何だか知らないうちにストライカーになっていった」

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Jリーグの川淵三郎初代チェアマン【写真:Getty Images】

 一夜明けた成田空港。凱旋帰国する日本代表を祝福し、まだ見ぬワールドカップ出場への思いを共有しようと、到着ロビーを埋め尽くすほどのファンやサポーターが詰めかけた。出迎えたなかには感無量の表情を浮かべていた、Jリーグの川淵三郎初代チェアマンもいた。

 チェアマンだけでなく、JFA副会長と同技術委員長も兼任していた川淵氏は、翌1993年3月のキリンカップの対戦相手を明かしてくれた。ハンガリー、アメリカ両代表を叩いて、アメリカで開催される次回ワールドカップのアジア予選に挑む――こんな特ダネを書いたことを思い出す。

 大会MVPは得点王の高木ではなく、決勝を含めた全4試合、390分間に先発フル出場したカズ。高木や中山の周囲で衛星のようにプレーし、チャンスメークをしながらゴールを狙うプレースタイルが評価されたカズは、新時代の寵児として放つ存在感をますますまばゆいものにしていった。

 ダイナスティカップの直後に開幕したヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)では、11試合で10ゴールをあげて大会得点王を獲得。鹿島アントラーズとの準決勝。清水エスパルスとの決勝ではともに決勝ゴールを決めて、初代MVPにも選出された。

 そして、広島を舞台に開催されたアジアカップ1992でも、エースとして躍動する。イラン代表とのグループリーグ最終戦では日本代表を準決勝に導く決勝弾を決め、サウジアラビア代表との決勝戦では高木の決勝ゴールをアシスト。日本の初優勝に貢献して、またもや大会MVPを獲得した。

「あのころから、不思議とシュートが上手くなっていったんだよね。得点感覚で言えば高木やゴン(中山)、武田(修宏)の方があったと思うけど、何だか知らないうちにストライカーになっていったよね」

 プロ時代の夜明けに遂げた変化を笑顔で振り返ったカズだが、人知れず積み重ねていた、血のにじむような努力の結晶だったことは言うまでもない。スーパースターの誕生、そしてアジアの勢力図に日本が食い込んでいく序章となった意味でダイナスティカップ1992、特に宿敵・韓国への苦手意識を払拭させた決勝戦は忘れられない一戦として記録と記憶に刻まれている。

(取材・文:藤江直人)

【了】

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