セレッソ・ロティーナ監督の指導哲学「すべてを理解していると自惚れたら死んでいるも同然」【インタビュー前編】

現在セレッソ大阪を率いるミゲル・アンヘル・ロティーナ監督は、指導者として25年以上のキャリアを積み重ねてきた。その経験によって培われた指導哲学とはいかなるものなのだろうか。日本サッカーへの造詣の深さも垣間見られるインタビューをスペイン『パネンカ』誌のウェブ版から、許可を得て抄訳し掲載する。今回は前編。(取材・文:イバン・バルガス【パネンカ】、翻訳:江間慎一郎)

2019年08月06日(Tue)10時20分配信

text by イバン・バルガス photo Getty Images
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20代で志した監督への道

ミゲル・アンヘル・ロティーナ
セレッソ大阪を率いるミゲル・アンヘル・ロティーナ監督【写真:Getty Images】

――選手としてのロティーナは、どういったタイプだったのですか?

「点取り屋、ペナルティエリア内の選手だね。リーガ1部では悪い選手で、2部では普通の選手。2部B(実質3部)では、見事な選手だった」

――31歳という若さで選手生活を終えて、監督業を志しました。情熱を注ぐ対象が変わったということでしょうか?

「ああ。レクレアティボ・デ・ウエルバやジェイダと、2部でプレーし続けるためのオファーはあった。しかし引退すると決めたんだ」

――指導する側に回るという考えは、いつ頃から芽生えていたのですか?

「25〜26歳くらいからだ。それまでは深く考えることもなかったが、そうした年齢から頭にちらつくようになった」

――スパイクを脱いだクラブであるログロニェスで、指導者の道をスタートさせました。

「セカンドチームの監督となり、それと同時にファーストチームでダビド・ビダルのアシスタントを務めた。良い関係を築けていたし、リーガ1部に所属していたファーストチームには素晴らしい選手がたくさんいた。ロメロ、イバン・カンポ、ドゥルセ、オスカル、マリン……などなどね」

――セカンドチームを指導した経験のある監督としては、ファーストチームとセカンドチームが同じ形でプレーすべきと考えますか?

「プレーの哲学は同じでなくてはいけないが、フォーメーションがそこまで重要だとは思わない。現代フットボールでは、フォーメーションがその都度変わっていく様を目にできる。少し前であれば、それはみっともないことで、監督に迷いがあると思われたものだよ。しかし今は正反対で、ビッグチームがある試合で3バックを使い、試合中や次の一戦で4バックに変えるということをやりだした。マンチェスター・シティみたいなチームがそういうことをしているんだよ。哲学を貫きながらね」

タイトルを勝ち取ることの喜び

ミゲル・アンヘル・ロティーナ
セルタ時代のミゲル・アンヘル・ロティーナ監督【写真:Getty Images】

――セカンドチームの目標は、ファーストチームのために選手を育成すること、それとも競争することなのでしょうか?

「何よりも大切なのは、ファーストチームで使える選手を育てていくことだ。そこには競争の要素だって多分に含まれる。美しくプレーするだけでは価値がなく、難しい状況や重圧の中で競い合うことだって必要なのさ。それもまた、選手を生み出す方法なんだよ」

――あなたはヌマンシアで、初めて大きな成功をつかみました。あの1995/96シーズンのコパ・デル・レイのことは、どのように記憶していますか?(※訳者注:ヌマンシアはリーガ2部Bに所属していたにもかかわらず、コパ・デル・レイで1部のレアル・ソシエダ、ラシン・サンタンデール、スポルティング・ヒホンを下してベスト8まで進出)

「観客とチームの団結を心に残している。ソリア(ヌマンシアの所在地)にたどり着いたとき、街を代表するスポーツはバレーボールで、誰もがそのスポーツのことを追いかけていた。一方でフットボールは、年長者が見に行くものでしかなかったんだ。しかしながら、コパをきっかけとして大きな変化が生じた。若い人たちがフットボールを見に行くようになり、年長者はソリアの名がテレビやメディアで主役扱いされることを誇ったわけだよ。この同時に起こった2つの事柄は、クラブの未来にとって、とても重要なことだった。

それまでは、ヌマンシアがどこの町のクラブなのか知らない人の方が多く、ソリアがどこにあるのかすら理解されてはいなかった。フットボールがソリアを地図上に置いたのだと、たくさんの人が言ってくれる。そこまで大げさでもないが、より多くの人に知ってもらうきっかけにはなったね」

――あなたはそのほか、ヌマンシアとオサスナを1部昇格に導き、セルタでチャンピオンズリーグ(CL)出場権を獲得し、エスパニョールではコパ・デル・レイ優勝を達成しました。最も印象に残っているのは?

「そのすベてが、かけがえないことだ。自分が関わったことでファンが喜びを感じ、誇らしくある様を目にできるのは素晴らしい。しかし、その中でもコパ優勝は特別だ。善良なビスカヤ(23回のコパ優勝を誇るアトレティック・クラブが拠を構えているスペイン・バスクの県)出身者である私は、カップ戦にかなり入れ込んできた人間だ。アトレティックがコパ決勝を戦い、優勝を果たす姿を見届けてきたし、それが今の自分を形づくっている。あのタイトルを獲得できるなんて考えもしなかったから、特別な愛情を感じているよ」

いつまでも向上心を持ち続け

――スペインで率いた最後の3チーム、レアル・ソシエダ、デポルティボ・デ・ラ・コルーニャ、ビジャレアルでは降格を経験することになりました。そのため、あなたの仕事ぶりには批判が集中しましたが、どのようにやり過ごしたのですか?

「当たり前だが、ダメージを受けるね。1シーズンを通してチームを率い、降格してしまったのはデポルティボ・デ・ラ・コルーニャだけだが、勝ち点43での降格など一度も起こったことがなかった。そのほかのチームの降格については、私も関与をしてしまった、ということだ。いずれにしても責任を負わなくてはいけないが、しかし思い詰める必要だってない。すべての監督が良い結果と悪い結果に関して、相応の責任を背負っている。

セルタのCL出場権獲得やエスパニョールのコパ・デル・レイ優勝、はたまた1部昇格に関して、私の貢献は重要なものであったと信じている。ただし、その結果に貢献をしたのが自分だけであるはずもない、そんなのは、もってのほかなんだよ。降格にしたって同じことで、私がその一因であるとしても、責任は共有されなくてはならない。当然のこととして、自分が背負うべき責任は引き受けさせてもらうがね」

――スペインで失望を感じたことが、国外挑戦に乗り出す動機になったのでしょうか?

「大きかったね。ビジャレアルでの日々を終えるとき、フットボールから距離を置こうと決めていたのだが、そのときになっても自分がまだ若いと感じられ、またゼロからスタートすればいいじゃないか、と思えたんだ。国外に出られる可能性があると分かって、決断したよ。結局、自分はフットボールが、指導をすることが好きなんだ。私にはフットボールに対する情熱が、向上していくための情熱がある。

この年齢で、どうしてそんな遠いところに行くのかと、多くの人に言われたさ。だが私は意欲と健康と可能性がある限り、進み続けるべきと考える人間だ。自分は今なお監督業を楽しんでいるし、さらなる向上を目指している。これからも、そんな人間であり続ける」

「すべてを理解していると自惚れたら、死んでいるも同然」

ミゲル・アンヘル・ロティーナ監督
ミゲル・アンヘル・ロティーナ監督はスペイン時代と変わらず向上心と指導への情熱を持ち続けている【写真:Getty Images】

――現在61歳(取材当時)で、25チーム以上を率いたにもかかわらず、まだ学び続けていると?

「ああ、まだまだ学んでいる。死なない限りは、そうあり続けるだろう。フットボールはここ数年で大きな進化を遂げたし、特にスペインでは著しいことだった。私は今、チェルシー、パリ・サンジェルマン、マンチェスター・シティ……といったチームを機会がある限り見るようにしている。それとスペインのチームも。例えばセルタやキケ・セティエンのベティスを見ているよ。

当然のことだが、物事は学んでいくものなんだ。いつだってうまくいくはずと自惚れて、学びを止めることは過ちとなる。チームというものは変化していくものなのだから。日々、向上しなければならないし、フットボールの世界ですべてを理解していると自惚れたならば、それはもう死んでいるも同然なんだよ」

――日本のフットボールは、あなたに何をもたらしたのでしょうか?

「個人的なことではあるが、本当に多くを与えてもらったよ。何よりも敬意を重んじる社会を知ることができた。ここでは、どんな場所であっても敬意が根底にあるんだ。カフェテリアでも電車でもお店でもね。ここにある相手を敬う文化は素晴らしい。この国は安全で、自分の身は守られているし、まったく異なった生活を体験させてくれる」

――仕事的にはどうでしょう?

「仕事について話せば、選手たちから敬意を寄せられている。日本では、監督はとても尊重されている存在なんだ。監督が自分たちに供するものがあると分かれば、最大限の敬意が払われる。スペインでは20歳の選手がすべてを知っていると自惚れるものだが、日本でそういったことは起こらない。ここの選手たちはいつだって学び、向上することを求めている。彼らの力になれればいいと思っているよ。そういった点でも、快く感じられている」

(取材・文:イバン・バルガス【パネンカ】、翻訳:江間慎一郎)

☆後編に続く☆

ミゲル・アンヘル・ロティーナ
1957年6月18日生まれ、62歳。スペイン・バスク州ビスカヤ県出身で、現役時代はログロニェスやカステジョンなどでストライカーとして活躍。31歳で引退した後は指導者として古巣ログロニェスやヌマンシア、オサスナ、レアル・ソシエダ、デポルティボ・デ・ラ・コルーニャ、ビジャレアルなどの監督を歴任。2005/06シーズンにはエスパニョールをコパ・デル・レイ優勝に導いた。近年はスペイン国外に活躍の場を移し、キプロスのオモニア・ニコシア、カタールのアル・シャハニアを経て2017年に東京ヴェルディの監督として来日。現在はセレッソ大阪の監督を務める。

【了】

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