石川直宏、背中を押した松田直樹の言葉とは? マリノスからの旅立ち、22歳で訪れたサッカー人生の岐路【石川直宏・伝記 後編】

2002年にFC東京へと期限付き移籍した石川直宏は、原博実監督(当時)の下で出場機会を獲得し、日本代表にも選出。飛躍する中で、大きな決断に迫られていた。FC東京で長年活躍し、2017年に現役を引退した石川直宏氏の伝記『素直 石川直宏』から、一部を抜粋して2回に分けて公開する。今回は後編。(文:馬場康平)

2019年10月05日(Sat)10時10分配信

text by 馬場康平 photo Getty Images
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マリノスかFC東京か。迫られる大きな決断

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2003年当時の松田直樹【写真:Getty Images】

 その間に、大きな決断を迫られた。FC東京から横浜F・マリノスへと活躍の場を求めた佐藤は、そこでポジションを獲得して完全移籍の話が進んでいた。ナオにも東京から完全移籍での獲得の意思が告げられ、マリノスか、東京かで気持ちが大きく揺れた。ナオにとっては、「それが理想だった」。期限付き移籍を決めたとき、一つの誓いを立てていた。

「シーズンが終わったときに、マリノスからは帰ってきてくれと言われ、東京からは残ってほしいと言われる状況をつくり出したかった。それがオレの中での理想だった」

 そう心に決め、無我夢中で日々を過ごした。そして、まさに思い描いた理想の状況が訪れた。まさに人生の岐路に立たされていた。

「お兄ちゃんなんだから直宏がお父さんの代わりにならないとね」

 幼いときから聞き慣れたフレーズは、「自分は強くありたい」と思わせた。ただし、知らず知らずのうちに、弱みをみせてはいけないというバリアをつくるようになっていた。父・二三夫は少し寂しさを湛えた表情で言った。

「直宏は、私たちに相談したりすることはないんです」

 その言葉を隣で聞いて頷き、「あのときも」と言ってさなえが苦笑いをする。
「東京に移籍を決めたときも、事後報告だったんですよ。私たちが知るときは、もう全部決まった後でした」

背中を押した松田直樹の言葉

 限られた猶予の中で、ナオが頼ったのは憧れの男だった。「マツ君ならどんなふうに考えるんだろう」。着る服を真似て、食事にも連れて行ってくれた兄貴分に胸中をさらけ出した。「うん、うん」と合いの手を入れ、ナオの思いを全て聞き終わると、松田はこう語り掛けた。

「ナオはさ、まだマリノスではクラブの顔になるまでに時間がかかるかもしれない。だけど、FC東京で今のプレーを続けていたら間違いなく、お前はチームの顔になれるぞ。正解はないし、決めるのも、その後どうするかもお前次第だけどさ。お前はどうしたいの?」

 正解はない。だけど、答えはその先の自分がつくる。「その言葉がスッと自分の中に入ってきた」。ぶっきらぼうだけど、熱く響く松田らしい言葉だった。

「マツ君、オレ決めました。東京で頑張ります」

 自分を育ててくれたクラブからの旅立ちを決断した。「そっか、頑張れよ。対戦するときはバチバチ行くからな」。そのエールに応え、東京の象徴となった自分をこの人に見せたいと誓った。後日横浜と東京は、ナオと佐藤の完全移籍を発表した。

(文:馬場康平)
 
▼石川直宏(いしかわ・なおひろ)
1981年生まれ、神奈川県横須賀市出身。育成組織から横浜F・マリノスに在籍し、2000年にトップチーム昇格、02年4月にFC東京に加入。03年Jリーグ優秀選手賞、フェアプレイ個人賞受賞、09年にはJリーグベストイレブンを受賞。U-23 日本代表としてアテネオリンピックに出場し、日本代表でも6試合に出場。17年に現役を引退し、翌18年よりFC 東京クラブコミュニケーターを務めている。
 

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『素直 石川直宏』

(著・馬場康平)

定価:本体1600円+税
クラブからも、サポーターからも愛された石川直宏のバイオグラフィー。
FC東京のサイドを駆け抜け、得点やアシストを量産した石川直宏のサッカー人生は、常に逆境との戦いだった。
右膝前十字靭帯損傷、腰椎椎間板ヘルニアなど、度重なる大怪我に見舞われ、夢だったワールドカップ出場も叶わなかった。
それでも何度も立ち上がり続けたアタッカーの素顔に迫る。

詳細はこちらから

【了】

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