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Jリーグ 4年前

「あの光景は一生忘れられない」。FC東京が勝ち取った優勝という快感【石川直宏 素直(5)】

今シーズンは悲願達成まであと一歩のところに迫ったFC東京。好評発売中の『素顔 石川直宏』から、石川直宏が初戴冠の瞬間を振り返った章を一部抜粋して全5回で公開する。今回は第5回。(文:馬場康平)

text by 馬場康平 photo by Getty Images

「勝利を疑わなかった」

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FC東京でプレーした石川直宏(写真は2005年5月21日のもの)【写真:Getty Images】

 延長戦を終えて、PK戦へと突入する。原は「誰か蹴りたいやつはいるか?」と、選手の顔を見渡す。目が合ったが、首を横に振って他の選手に譲った。

「両足がつっていたからとても蹴れる状態じゃなかった。助走して蹴る瞬間、足がピキッてなってコロコロなんて前代未聞だからね」

 チームメートと肩を組み、PK戦を見守った。先攻の東京はルーカス、馬場、今野泰幸と3人目まで確実に成功させる。対する浦和は3人目の田中達也が放ったシュートがバーを直撃する。東京も続く梶山が失敗するが、土肥洋一が浦和4人目の山田暢久のシュートを残った足で止める。何度も絶叫する守護神を、誇らしく称えた。

「後ろの選手たちが必死に浦和の攻撃を止めてくれた。周りが頑張っている姿を見てオレも頑張ろうと思えた。あのときのチームはそういうチームだった。だから負ける気がしなかった。PKに入ったときは、もう勝利を疑わなかった」

 最後のキッカーに自ら名乗りを挙げた加地亮が長い助走からゴール右下に蹴り込む。その瞬間、選手、スタッフがピッチになだれ込むように駆け込んだ。

「足がつっていたけど、ダッシュだった。でも、みんなバラバラなの。カジ君はどこか違うところに走っていくし、オレやモニは土肥さんのところに行った。バラバラなんだけど、スタッフもみんな泣いて喜んでいた。でも最高だった」

 歓喜の抱擁が繰り返される中、戸田光洋が駆け寄ってきて隣で笑っていた。ナオは「戸田さん、どういうことですか?」と言ったが、「しょうがないじゃん。勝ったからOKでしょ」と繰り返した。ナオも戸田の笑顔につられて笑うしかなかった。

 そして、国立のメインスタンドへと登壇する。階段を一歩ずつ上がる度に、足に痛みが広がる。ただ、それさえも心地良かった。メダルを受け取り、振り返ると、そこにはあかね色に焼けた空が広がった。首から提げたメダルが誇らしげに揺れる。疲れも吹き飛ぶほど、幸福感に満ちた時間だった。

「あの光景は一生忘れられない。あそこに登ってあの空を見て、もう一度優勝したいと思った。何度だって味わいたいよ」

(文:馬場康平)
 
▼石川直宏(いしかわ・なおひろ)
1981年生まれ、神奈川県横須賀市出身。育成組織から横浜F・マリノスに在籍し、2000年にトップチーム昇格、02年4月にFC東京に加入。03年Jリーグ優秀選手賞、フェアプレイ個人賞受賞、09年にはJリーグベストイレブンを受賞。U-23 日本代表としてアテネオリンピックに出場し、日本代表でも6試合に出場。17年に現役を引退し、翌18年よりFC 東京クラブコミュニケーターを務めている。
 

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『素直 石川直宏』

(著・馬場康平)

定価:本体1600円+税
クラブからも、サポーターからも愛された石川直宏のバイオグラフィー。
FC東京のサイドを駆け抜け、得点やアシストを量産した石川直宏のサッカー人生は、常に逆境との戦いだった。
右膝前十字靭帯損傷、腰椎椎間板ヘルニアなど、度重なる大怪我に見舞われ、夢だったワールドカップ出場も叶わなかった。
それでも何度も立ち上がり続けたアタッカーの素顔に迫る。

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【了】

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