FC東京、初タイトルのドラマの始まりは…。守備の要と精神的支柱を失い、そして起こるとある事件【石川直宏 素直(3)】

今シーズンは悲願達成まであと一歩のところに迫ったFC東京。好評発売中の『素顔 石川直宏』から、石川直宏が初戴冠の瞬間を振り返った章を一部抜粋して全5回で公開する。今回は第3回。(文:馬場康平)

2020年01月04日(Sat)10時00分配信

text by 馬場康平 photo Getty Images
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守備の要と、精神的な支柱を失った

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FC東京でプレーした石川直宏(写真は2004年5月16日のもの)【写真:Getty Images】

 初タイトル獲得のドラマは、前半29分の退場劇から始まった。

 開始からサイド攻撃を軸に好機をつかんでいた東京だったが、センターバックのジャーンが前半で2枚目の警告を受け、ピッチを去ることになってしまう。監督の原博実は、三浦文丈を下げて藤山竜仁を投入する。いきなりチームは守備の要と、精神的な支柱を失う。

 目の前で涙を流して主審に懇願するジャーンの姿に、ナオら選手たちはいてもたってもいられなくなった。一方で、潔くピッチを去っていく三浦の無念さを背負った選手もいた。だが、絶望的な状況は変わらない。

 ここから数的不利を埋めるために選手全員で泥くさく戦い、走れる限り走った。浦和の猛攻を水際で防ぎ、数少ないチャンスからゴールの可能性を探った。

 前半をスコアレスで凌いだが、後半に入っても浦和の勢いは増すばかりだった。原は両サイドの攻撃的なポジションの2人にアップダウンを繰り返すように指示。さらに、「できるだけ高い位置でスローインを取り、ファウルをもらうことを徹底しよう。中途半端なプレーではなく、仕掛けるときはやりきろう」と、求めた。

 右のナオと左の戸田光洋は、普段のゲームの2倍近い強度のスプリントを重ねた。長い距離のダッシュを繰り返す度に、2人の表情はゆがみ、吐き出す息も荒くなっていった。

「そこで『戸田さん事件』が起こるんだよね」

(文:馬場康平)
 
▼石川直宏(いしかわ・なおひろ)
1981年生まれ、神奈川県横須賀市出身。育成組織から横浜F・マリノスに在籍し、2000年にトップチーム昇格、02年4月にFC東京に加入。03年Jリーグ優秀選手賞、フェアプレイ個人賞受賞、09年にはJリーグベストイレブンを受賞。U-23 日本代表としてアテネオリンピックに出場し、日本代表でも6試合に出場。17年に現役を引退し、翌18年よりFC 東京クラブコミュニケーターを務めている。
 

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(著・馬場康平)

定価:本体1600円+税
クラブからも、サポーターからも愛された石川直宏のバイオグラフィー。
FC東京のサイドを駆け抜け、得点やアシストを量産した石川直宏のサッカー人生は、常に逆境との戦いだった。
右膝前十字靭帯損傷、腰椎椎間板ヘルニアなど、度重なる大怪我に見舞われ、夢だったワールドカップ出場も叶わなかった。
それでも何度も立ち上がり続けたアタッカーの素顔に迫る。

詳細はこちらから

【了】

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