戸田さん事件の真相。「エーッどういうこと?」。FC東京初戴冠直前、石川直宏に何があったのか【石川直宏 素直(4)】

今シーズンは悲願達成まであと一歩のところに迫ったFC東京。好評発売中の『素顔 石川直宏』から、石川直宏が初戴冠の瞬間を振り返った章を一部抜粋して全5回で公開する。今回は第4回。(文:馬場康平)

2020年01月04日(Sat)10時10分配信

text by 馬場康平 photo Getty Images
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交代を求めたのは石川直宏だったはずが…

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FC東京でプレーした石川直宏(写真は2005年5月8日のもの)【写真:Getty Images】

 後半も20分を過ぎようとしていた。プレーが途切れた合間に、ナオが戸田光洋に声を掛けた。

「オレ、足がつってもう無理だからベンチに言ってよ」

 それに、戸田は「分かった」と手を挙げて応えた。だが、戸田も自分の限界が近いことを悟っていた。

「実は僕も後半早々に足をつっていた。僕がベンチのサイドにいたから、本当なら原さんに伝えなきゃいけないんですけど……」

 戸田が「どうしようかな」と考えを巡らせている間に、逆サイドのナオはヤキモキしていた。両足は何度も痛みに襲われた。後半終了が近づく中で、ようやく交代の準備が整うのが見えて安堵した。

「ようやく交代か。よく頑張ったな」と自分に言い聞かせた。ボールがラインを割り、ベンチに向かって走り出そうとした矢先、交代ボードには自分の『18』ではなく、戸田の『13』が表示された。

「初めは18と13を4審が間違ったのだと思った」

 だが、戸田は、迷わずタッチラインへと向かって駆けていく。そのまま馬場憂太が交代でピッチへと入ってきた。

「エーッどういうこと? もう何が起こったのか分からなかった」

 頭の上には、いくつも「?」が浮かんだ。その答えを戸田が笑って解説する。

「結論から先に言うと、原さんにはナオの話を言わなかったんです。オレよりもナオのほうが走れるだろうし、ナオがピッチに残ったほうが相手もいやだろうと僕が自分で判断したんです。だから自分の足がパンパンになるまで走って、原さんに『オレ、もう無理です』って交代したんです。ナオはきっと向こうサイドから見ていて何が起きているのか理解できなかったと思うよ」

 ベンチの原博実も「オレもやばいなと思ったんだよ。どっちも足をつっていたみたいだから、どちらの方が我慢できるかな」と、2人の様子をずっと見守っていた。残された交代枠をどう使うか。その難しい判断に迫られていた。原は自らの決断をこう述懐した。

「ケリーの出来が良くなかったから、早めに(梶山)陽平に代えちゃったんだよね。戸田が自分からダメだと言ったときは、もうあいつは限界なんだよ。ナオのほうが、ときどき休みながらプレーしていたからナオはまだやれるかなって思ったんだよね」

 そう口にし、「代えてしまった後は、もうどうしようもないよな」と笑った。そのままナオは、延長も含めた120分間をピッチで戦った。誰かが少しでもサボっていたら、浦和の猛攻をはね返すことなどできなかっただろう。試合終了の笛が鳴った瞬間、全身から力が抜け落ちた。膝が笑い、立っているのがやっとだった。ほとんどの選手と同じように、その場に倒れ込んだ。

(文:馬場康平)
 
▼石川直宏(いしかわ・なおひろ)
1981年生まれ、神奈川県横須賀市出身。育成組織から横浜F・マリノスに在籍し、2000年にトップチーム昇格、02年4月にFC東京に加入。03年Jリーグ優秀選手賞、フェアプレイ個人賞受賞、09年にはJリーグベストイレブンを受賞。U-23 日本代表としてアテネオリンピックに出場し、日本代表でも6試合に出場。17年に現役を引退し、翌18年よりFC 東京クラブコミュニケーターを務めている。
 

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(著・馬場康平)

定価:本体1600円+税
クラブからも、サポーターからも愛された石川直宏のバイオグラフィー。
FC東京のサイドを駆け抜け、得点やアシストを量産した石川直宏のサッカー人生は、常に逆境との戦いだった。
右膝前十字靭帯損傷、腰椎椎間板ヘルニアなど、度重なる大怪我に見舞われ、夢だったワールドカップ出場も叶わなかった。
それでも何度も立ち上がり続けたアタッカーの素顔に迫る。

詳細はこちらから

【了】

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