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07年、梅崎司。わずか4ヶ月で去ったフランスの地。それでも強く印象に残った理由とは?【リーグ・アン日本人選手の記憶(5)】

日本人選手の欧州クラブへの移籍は通過儀礼とも言える。これまでにもセリエA、ブンデスリーガなどに多くのサムライが挑戦したが、自身の成長を求め新天地にフランスを選ぶ者も少なくはない。現在も酒井宏樹や川島永嗣がリーグ・アンで奮闘中だ。今回フットボールチャンネルでは、そんなフランスでプレーした日本人選手の挑戦を振り返る。第5回はMF梅崎司。(取材・文:小川由紀子【フランス】)

シリーズ:リーグ・アン日本人選手の記憶 text by 小川由紀子 photo by Getty Images,Yukiko Ogawa

「自分の夢を叶えるため」の海外移籍

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グルノーブルの練習場の様子。梅崎はここで日々切磋琢磨していた【写真:小川由紀子】

 梅崎司は、伊藤翔と同じ2007年1月、当時リーグ2(フランス2部)にいたグルノーブル・フットに、大分トリニータから半年間の期限付きで移籍した。

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 大分ではレギュラーに定着し、前年の9月には、イビチャ・オシム監督から招集を受けて、AFCアジアカップ予選のイエメン戦で日本代表デビュー。小野伸二、市川大祐以来となる10代での国際Aマッチ出場が話題となるなど、プロサッカー選手としてのキャリアが開花し始めたタイミングで決めた海外移籍だった。

「世界的には、19歳でトップチームで活躍している選手はいっぱいいる。そういうところでやりたいという夢があった。早すぎるという批判はあったけれど、それでも自分の夢を叶えるために今行かないといけないと思った」。

 子供の頃、中田英寿がセリエAでプレーする姿を見て以来、彼のように海外でプレーすることは梅崎の目標だった。

 現地で入団会見が行われた1月31日から、5月25日の最終節を終えて大分に戻るまで、彼がグルノーブルにいたのは実質4ヶ月だったが、不思議なくらいに印象は濃く残っている。

 ひとつには、2月に20歳になったばかりとは思えないほど強い眼差しをしていて、発言のひとつひとつに固い意志が感じられたこと。そして、サイドを高速ドリブルで駆け抜け上がってクロスを出す彼のフォームも、まるでアニメの登場人物みたいにインパクトがあった。

 グルノーブルの練習場には、毎日地元のおじさんたちがトレーニングを覗きにきていたが、167cmと小柄な梅崎がスピーディーなドリブルを繰り出すたびに「ほォ~」「はァ~」という声がもれた。

 イヴォン・プリカン監督も梅崎の様子を見て「いろいろなことを習得しようとする姿勢は熱心で、非常に早いペースで吸収している。スピードとクイックネスは相当なレベルだが、テクニックも素晴らしい。左右両足を同じように使いこなし、ものすごく器用だ」と感想を話していた。

後の世界王者FWのプロ初ゴールをお膳立て

オリビエ・ジルー
梅崎は現フランス代表FWのオリビエ・ジルーのプロ初得点をお膳立てしていた【写真:Getty Images】

 伊藤翔がデビューした2月9日の第24節アミアン戦で初めてベンチ入りすると、次のアウェイでのクレテイユ戦で、梅崎はフランスリーグのピッチに立った。

 1-1で拮抗していた試合の終盤87分。梅崎は右手でグラウンドをざっとなでてから、一目散に左サイドへと飛び出すと、デビュー戦の緊張を少しも感じさせない落ち着いたプレーを披露した。常にまわりの動きに注意を払う視野の良さや、ボールを持ったとたんにエネルギッシュにつっかける爆発力は、彼の持ち味や可能性を表していた。

「リーグ2でもレベルが高いと思う。とくに身体能力、ジャンプ力、キープ力。身長は小さくても筋肉質で強い選手が多い。もっともっと自分もフィジカル面をあげていかないと。そしてこれからは、自分の特徴であるアグレッシブさや、ドリブルでつっかけていってゴールに直結するプレーを目指したい」。

 そうデビュー戦の感想を語った梅崎。真意をはぐらかすのが得意なプリカン監督も「2点獲ってこい、と言って送り出したんだがね…」と言ってニヤリと笑った。その様子は、手ごたえをつかんでいたようだった。

 次戦、ホームでのル・アーブル戦でふたたび終盤の82分からピッチに送り出された梅崎は、相手ディフェンダーに囲まれる中、ゴールを背にしてボールを受けとり、ひらりと身を返して左足でシュートを撃つシーンも見せた。

 この日のピッチは泥々にぬかるんでいて、ボールが落ちるたび、ボト、ドテ、と鈍い音がするほど劣悪のコンディション。思うようにボールが弾んでくれず梅崎も苦戦していたが、その中で迎えたアディショナルタイム、後方からのロングボールの流れ弾を左サイドのエンドラインぎりぎりでとらえると、そこからゴール前めがけて右足でクロスを放った。

 相手ディフェンダーに阻まれたが、すかさず味方のフォワードがボールをさらって思い切りシュートを放つと、ボールは見事ゴール側壁を突き刺し、グルノーブルは1-1から、ラストミニッツで劇的な勝利をものにした。

 相手ディフェンダーが触っていたため、記録は梅崎のアシストにはならなかったが、アシストにも等しい殊勲もののプレー。そしてこのドラマチックな決勝点を決めたのは、当時控えストライカーだった、20歳のオリビエ・ジルーだ。これが、のちに世界王者に上り詰めるフランス人ストライカーの、記念すべきプロ初ゴール。梅崎は奇しくも、その栄えある1ゴール目をお膳立てしたプレイヤーだった。

 ちなみに相手ル・アーブルのゴールを守っていたのは、現フランス代表で、マルセイユでは酒井宏樹のチームメイトでもあるスティーブ・マンダンダだ。

0得点、0アシストも「後悔はない」

梅崎司
「長年抱き続けたその目標を達成することができて、後悔はない」。梅崎はフランスでの挑戦をこう振り返っている【写真:Getty Images】

 その後はコンスタントにベンチ入りしながら、第31節のイストル戦では初の先発出場。FKのキッカーも任されるなど攻撃に絡んで3-0の勝利に貢献した。第33節のリボルヌ戦でもふたたび先発起用されたが、そこでプレーした45分間が、グルノーブルでの最後の出場となった。

 フランスのユース代表だったフランク・ジャジェジェやソフィアン・フェグーリら、同年代のライバルが同じポジションに4人いる中で、先発2回を含む5試合に出場し、ノーゴール、ノーアシストというのが、梅崎のグルノーブルでの記録だ。

 しかし出場した試合では、持ち前のアグレッシブさをアピールして、サイドを速いペースでかきまわすなど、ゲームのリズムを変える動きが光った。短い時間でも見る者の印象に残る、華のあるプレーをする選手だった。

 グルノーブルでの挑戦を終えたあと、FIFAとのインタビューで梅崎は「大分で出場回数が増えてきて、シニア代表にも選ばれる中で、どんどん海外で挑戦してみたいという思いが膨らんだ。長年抱き続けたその目標を達成することができて、後悔はない」と語っている。

「グルノーブルに来て、プロのサッカー界というものを自分はまったく知らなかったと気づいた。自分のやることすべてをいかに管理しなくてはならないか。食べることや寝ることも含め、選手にとってフットボールは1日中関わっているということ。グルノーブルでともにプレーした自分と同年代の選手は、そういった面に関して自分よりはるかにしっかりとした考えを持っていた。自分はまだまだだと思った。

あのようなピッチの状態でどうやってあんなスピードやパワーでプレーできるのか、ボールをコントロールできるのか。僕にとっては自分の持ち味を出すのが難しかった。自分がこれまで知っていたのとははるかに違うレベルの世界があることを知った」。

 その夏、梅崎はU-20ワールドカップに出場し、初戦のスコットランド戦でゴールをあげている。期間こそ短かったが、プロの世界に足を踏み入れたばかりの柔軟な時期に異国で体験したことは、彼の心と体に、深く刻み込まれたことだろう。

(取材・文:小川由紀子【フランス】)

【了】

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