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Jリーグ 4年前

Jリーグ村井チェアマンの秘話「北浦和泥酔事件」。日本サッカーを背負う男の愛すべき素顔とは?【村井満という男 前編】

コロナウイルス問題によって中断を余儀なくされていたJリーグだが、ついにJ1も再開を迎えた。この未曾有の状況下でJリーグを牽引したのが村井満チェアマンだ。2ステージ制や放映権など様々な問題の中で優れたリーダーシップを見せてきた村井チェアマンだが、どのような素顔を持っているのか。旧知の間柄であり、好評発売中の『フットボール批評issue28』でインタビューを担当した記者が知られざる秘話を前後編で伝える。今回は前編。(文:吉沢康一)

text by 吉沢康一 photo by Getty Images

ひと言でいえば包容力があって懐が広い人

村井満
【写真:Getty Images】

 それが何年前だったのかすぐには思いだせない。

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 季節は冬で、待ち合わせたその人は遠く南の暖かいところに住んでいた。仕事もできる人らしく、とても忙しい人だったので、しょっちゅう会うような間柄ではなかった。

 正直、初めて言葉を交わした日も忘れてしまっているし、いつから親しく話すようになったのかも思いだせない。そんな人から「ちょっと会いたい」と言われれば、待ち合わせが苦手な僕でも時間を作らなくちゃいけないだろう。そしてやっぱり「会ってよかった」とあとで思った。

 ひと言でいえば包容力があって懐が広い人。もっと言葉で飾るなら、まったく年齢を感じさせない探求心と優しさを持っている。そんな人と時間を共有できるのはうれしいし、誇らしく思うのは人の常である。偉くなっても威張らない人で、それはその人と会った人が感じる共通項でもある。

 その人とは村井満さん、第5代Jリーグチェアマンである。

 村井さんは2014年にJリーグチェアマンに就任。Jリーグと関係のない組織出身の初めてのチェアマンとして話題になった。

 僕と村井さんの出会いはおそらく1993年だと思うが、ハッキリは覚えていない。スタジアムで知り合った人はいつ出会ったかわからないことが多いが、村井さんもその中の一人なのだ。

「じゃあ、いつから繋がっているんだろう?」とSNSのメッセージを遡っていくと、2011年に村井さんから友達申請をもらっていた。すでにJリーグの理事だった村井さんとは、住む町も同じなので、時々顔を合わせて言葉を交わすこともあったが、特別親しい間柄でもなかった。僕はメッセージをもらったことに気をよくして、調子に乗って悩んでいたことを相談してみることにした。

「吉沢さん。数多くのサポーターの中の一人だった私にもかかわらず、出会いを覚えていていただき本当にうれしいです。吉沢さんの指揮にはいつもライブ感(即興のトークやコール)がありました。皆レッズのサポーターはそれを楽しんでいました。試合に負けても、そこにはサポーターがサポーターを呼ぶ構造があったんだと思います。

(中略)吉沢さんの仕事観についてとやかくアドバイスできる立場ではありませんが、私やI(共通の知り合い)は比較的職業選択に近いところにいますのでなんなりと相談してください。『ライブ感たっぷりに大衆(消費者)をリードする』そんな吉沢さんが活躍できる場は必ずあるはずですよ。世の中はそんな人を真剣に求めているんだから」

気がつけば外は雪が降っていて…

 僕は東日本大震災から半年後くらいだったが、この頃はまったくといっていいほど仕事がなく真剣に転職を考えていた。「村井さんはリクルートの人だし、相談してみよう」そんな気持ちでメッセージを送ったのに、熱い返信をもらって本当に勇気づけられたのも10年近く前なのか。

 当時、村井さんは香港に住んでいて、アジア各国を忙しく飛び回っていた。ユーモアたっぷりで海外生活のドタバタを面白おかしくというか、隠すことなくSNSでアップしていて、僕はその奮闘ぶりは面白かったが、励まされることも多かった。

 この人はいつもチャレンジャーなのだ(おっちょこちょいのところはあるけれど)。時々、メッセージを送ると僕の欲しい言葉を返してくれて、それでいて宿題も出してくれる。かと思えば突然メッセージが来て、帰国するので「飲もう」と誘ってくれる人でもある。

 そう……少しずつ思いだしてきた。

 それは村井さんがチェアマンになる前の真冬だった。

 JR北浦和駅で待ち合わせて、夕方から飲み始めて、気がつけば人数は増えているし、お互い呂律が回らなくなるくらい(いや、回っていなかった)飲んで語り合った。意外にも家族の話やお子さんの話をたくさんしてくれて、それは、それは楽しい時間だった。

 お互い立つのもやっとなくらいに飲んで飲みまくった。気がつけば外は雪が降っていて、村井さんの家族が車で迎えに来て、家まで送ってもらった。これが二人の中の「北浦和泥酔事件」である。

 フリーランスで会社勤めをしていない僕にとって、思いを吐き出せる機会は滅多になかったので、これでもかと僕はしゃべりまくった。村井さんもしゃべりまくったが、二人とも飲みすぎてしまっていたので大切な話が何だったのかは、今でもなかなか思いだせない。思いだすくらいなら、また会って話をすればいいなんて思っていたら、このコロナ禍で会うのもままならなくなってしまった。

(文:吉沢康一)

Jリーグ村井満チェアマンはどのような信念のもとでコロナウイルスに対する決断を下したのか? 貴重なインタビュー全編は本誌で。詳細は↓をクリック。

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『フットボール批評issue28』


定価:本体1500円+税

≪書籍概要≫
 とある劇作家はテレビのインタビューで「演劇は観客がいて初めて成り立つ芸術。スポーツイベントのように無観客で成り立つわけではない」と言った。この発言が演劇とスポーツの分断を生み、SNS上でも演劇VSスポーツの醜い争いが始まった。が、この発言の意図を冷静に分析すれば、「スポーツはフレキシビリティが高い」と敬っているようにも聞こえる。

 例えばヴィッセル神戸はいち早くホームゲームでのチャントなど一切の応援を禁止し、Jリーグ開幕戦のノエビアスタジアム神戸では手拍子だけが鳴り響いた。歌声、鳴り物がなくても興行として成立していたことは言うまでもない。もちろん、これが無観客となれば手拍子すら起こらず、終始“サイレントフットボール”が展開されることになるのだが……。

 しかし、それでもスタジアムが我々の劇場であることには何ら変わりはない。河川敷の土のグラウンドで繰り広げられる名もなき試合も“誰かの劇場”として成立するのがスポーツ、フットボールの普遍性である。我々は無観客劇場に足を踏み入れる覚悟はできている。

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【了】

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