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Jリーグ 3年前

『じゃあ、やる!』。もう一人の主人公が即決した理由とは? Jリーグを目指すクラブの情熱【福山シティFC・後編】

今やJリーグクラブは全56クラブにまで膨れ上がった。Jクラブがない「土地」のほうが希少価値が高い時代になるとは、いわゆるオリジナル10の時代に誰が予想できただろうか。Jクラブが「ある土地」、もしくは「ない土地」から薫るフットボールの物語を、アンダーカテゴリーに魅入られた著者が描きだす『フットボール風土記』から、福山シティフットボールクラブの章より一部抜粋して前後編で公開する。今回は後編。(文:宇都宮徹壱)

text by 宇都宮徹壱 photo by Tetsuichi Utsunomiya

Jクラブのトレーナーから転身したのはなぜ?

福山シティFC
【写真:宇都宮徹壱】

 実のところ、私が福山シティFCを意識するようになったのは、樋口の影響が大きかった。彼がSNSを通じて、盛んにクラブの活動や理念について発信していたのが、何となく視界に入っていたのである。ただ発信するだけではない。スポーツビジネス界隈のインフルエンサーたちとも、頻繁にやりとりしている様子がタイムライン上で散見されていた。

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 いくら「Jを目指している」と言っても、県リーグのクラブで、しかもビジネス畑ではなくスポーツ整形外科を出自としている樋口。なぜ彼は、憧れだったJクラブのトレーナーから、クラブづくりに転身を図ったのか。そこには、当人しか知らない挫折と迷いの日々があった。

「ファジアーノ時代は、自分のトレーナーとしての知識や技術のなさを痛感することが多かったですね。特にショックだったのが、グロインペイン症候群の選手を完治できなかったこと。治ったと思っても、すぐに戻ってくるということを繰り返して、その選手は契約満了になってしまったんです。僕自身、ものすごく責任を感じました」

 結局、岡山でのトレーナー生活は2年で切り上げることとなり、その後は東広島の大学院でグロインペイン症候群を研究している教授に師事するも、こちらも修了まで半年を残して辞めている。この時期、さまざまな逡巡があったのだろう。

「これは一般論として聞いてほしいのですが」と釘を差した上で、樋口は続ける。

『福山で一緒にJクラブを作りませんか?』。即決の理由は?

「Jクラブの場合、メディカルスタッフが『本当はリハビリにこれだけの期間が必要』と思っても、どこかで監督やコーチに忖度しないといけない時ってあるんですよね。圧の強い監督から『ちょっと早めに復帰させてもいいよな?』と言われたら、それに抗うのは難しい。ファジにいた頃の僕は一番下っ端でしたけど、いつかJクラブのチーフトレーナーになったら、自分が考える最高のメディカルメソッドを提供して、日本で一番怪我が少ないチームにしたいと思っていました」

 樋口が岡山を2年で去ったのには、実はもうひとつ、キャリアに関する迷いもあった。いわく「アスリートと一緒で、僕らトレーナーもクラブから離れると、キャリアが分断されるんです」。樋口によれば、Jクラブを離れた先輩トレーナーの進路は、自分で開業するか、クリニックに戻るか、大学の先生になるかの3パターンしかないという。

「でも、40歳を過ぎてから開業するのって、ものすごく大変だと思うんですよ。お金のことも、事業のことも、マーケティングのこともわからない。40過ぎて、いちから勉強するのって、すごくハードルが高いと感じたんです。加えて、それまでトップアスリートと刺激的な仕事をしてきたのに、8時から17時の安定したクリニックの仕事をしながら社会に何かを還元できるかというと、自分にはちょっと自信がなかったですね」

 Jクラブのトレーナーになれば監督の意向を無視できず、Jクラブを離れれば難しいキャリアの岐路に立たされる。葛藤する樋口の中で、「既存のJクラブに頼らないやり方もあるのではないか」という発想が芽生える。

「最高のメディカルメソッドを提供して、日本で一番怪我が少ないチームを作るんだったら、既存のJクラブに入るのではなく、下のカテゴリーから上がってくるクラブをリノベーションしたほうがいいかなって考えるようになりました。そんな時に、岡本から連絡が入ったんです。『福山で一緒にJクラブを作りませんか?』って。それが2年前の12月。あまり考えずに『じゃあ、やる!』って言ったのを覚えています(笑)」

(文:宇都宮徹壱)

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『フットボール風土記』


定価:本体¥1700+税 宇都宮徹壱著

≪書籍概要≫
2017年サッカー本大賞受賞作『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ目指さないクラブ』から早3年……
今やJリーグクラブは全56クラブにまで膨れ上がった。Jクラブがない「土地」のほうが希少価値が高い時代になるとは、いわゆるオリジナル10の時代に誰が予想できただろうか。
一方で、Jクラブのある「土地」からあえてJを目指すクラブも、それこそ雨後の筍のように出現し続けている。
Jクラブが「ある土地」、もしくは「ない土地」から薫るフットボールの物語を、アンダーカテゴリーに魅入られた著者が「郷土のクラブ」を照射した。

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【了】

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