日本代表にも欧州のDFに当たり負けしないFWが存在した。まるでレバンドフスキ、釜本邦茂はどんな選手か?【日本人CF戦術史(1)】

長い歴史を誇る日本代表や、28年目を迎えるJリーグでは、これまで数々の名選手がプレーしてきた。長い年月を経る過程でサッカーの流行は移り変わり、選手に求められる役割にも変化が生まれる。本連載では、各年代のセンターフォワードとして活躍した日本人選手の技術の真髄に迫る。(文:西部謙司)

2021年02月19日(Fri)10時00分配信

シリーズ:日本人CF戦術史
text by 西部謙司 photo Getty Images
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メキシコ五輪得点王の“足”

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【写真:Getty Images】

 日本サッカー史のゴールゲッターとしては川本泰三と二宮洋一が有名だった。「シュートの名人」と呼ばれた川本は40歳までプレーした技巧派のCF、二宮はアジリティに優れた万能型だったという。どちらも日本代表で活躍し、早稲田と慶応のエースだった。

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 アマチュア時代で最大のストライカーは釜本邦茂だろう。メキシコ五輪銅メダルの立役者で大会得点王も獲得した。

 釜本のプレーは筆者も辛うじて何度か見ている。もう全盛期は過ぎていたかもしれないが、ヨーロッパのDFにも当たり負けしない強さがあり、図抜けた瞬発力と正確な技術を兼ね備えていた。現在のプレーヤーでいえば、ロベルト・レバンドフキに似たタイプだろうか。足でも頭でも、裏抜けもドリブルシュートでも、あらゆる形で点がとれた。

 日本代表の先輩でメキシコ五輪時のチームメートだった松本育夫は、銅メダルを獲れたのは「釜本がいたからということに尽きる」と言い、日本代表の監督だった二宮寛も「シュート練習でお金がもらえるぐらい」と絶賛していた。

 釜本の逸話はたくさんあるが、引退試合での“足”の印象は忘れられない。なぜかスタジアム外の通路からロッカールームが丸見えで、釜本が試合を終えて着替えていたのだが、ふくらはぎが腹筋のように割れているのが見えた。「鍛えるとあんなふうになるのか」と驚かされたものだ。

「理詰め」だった点のとり方

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【写真:Getty Images】

 のちに本人に取材する機会があった。とっくに引退していて当時は参議院議員。確か「点のとり方」というようなテーマだったと思う。

 少し意外だったのは、点のとり方に関しての考え方が理詰めだったこと。「ガーッといってバーンと蹴る」みたいな話を漏れ聞いていたので、てっきり感覚派なのかと思っていた。

「クロスボールをヘディングするなら、あまりゴールから離れたら入らない。だからDFとDFの間で待つ。自分とDFの空中での到達点がだいたい同じとすると、DFから2メートル離れたところにポジションをとる。ボールがDFに触れないぎりぎりの高さで越えて、そこから2メートルで少し落ちてくれればいいので、そういうボールを要求していた」

 足下でパスを受けるときも同じように理詰めだった。聞いてみれば確かにそのとおりなのだが、それで得点を量産できたのはシュート技術そのものが抜群だったからだ。ただ、すべて自分でやろうとはしていない。クロスボールなら、DFの頭上をぎりぎりで越えて2メートル背後の自分のところで数センチ落ちるボールを蹴るのはチームメートの仕事、そこから先は自分の仕事と明確に線を引いている。

「自分は上手い選手ではなかった」

 本人はそう話していたが、当時は技術的にも飛びぬけた存在だったと思う。しかし、すべてを自分でやろうとはせず、絶対の自信があるシュートに特化していたわけだ。合理的なぶん味方への要求も明確だった。

 もちろん簡単ではない。エースの注文に応えるためにチームメートはけっこう苦労していたようだ。自分の仕事を完遂するために、味方にも完璧な仕事を要求する。アマチュアの時代にあって極めてプロフェッショナルな考え方だったといえる。

(文中敬称略/文:西部謙司)

【了】

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