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セリエA 1か月前

愛された男から愛される男へ。ローマが乗り越えた名将解任の余波。デ・ロッシがクラブを蘇らせた理由【コラム】

シリーズ:コラム text by 佐藤徳和 photo by Getty Images

「一人の監督として扱ってほしい」(デ・ロッシ)



 しかし、契約最終年の23/24シーズンの1月14日、後半戦初戦の敵地ミラン戦で1-3の完敗を喫する。順位は9位にまで落ち、その2日後の現地時間9時30分、オーナーのダン・フリードキンとその息子のライアンの連名によって、モウリーニョの解任が発表された。すると、SNSには、解任に抗議する声が溢れ、ローマのトレーニングセンター、トリゴリアを車で後にするモウリーニョには、多数のファンが詰めかけ、「ありがとう、ミステル(イタリアでの監督の呼称)! ティラーナ(カンファレンスリーグ決勝の地)は、忘れません!」と絶叫し、感謝の意を表した。

 もちろん、解任に同意する声もあったが、成績不振ながら、これほど、続投を希求された指揮官も稀だろう。CL出場権獲得を目標とするクラブが9位に沈むのであれば、その監督はサポーターに「Vattene!(出ていけ!)」と罵声を浴びるのがつねだ。しかし、モウリーニョは違った。2年連続で欧州カップ戦決勝にチームを導いただけではなく、言動、パフォーマンス、とりわけ、選手やスタッフ、サポーターと共に戦う姿が、多くの人々の心に突き刺さった。モウリーニョは、永遠の都ローマでも、スペシャル・ワンな存在だった。

 シーズン途中の解任劇では、後任には通常、次のシーズンに向けての暫定的な指揮官、トラゲッタトーレ(橋渡し役)が任命されるものだ。しかし、解任から1時間も経たずに発表された新監督の名は、ダニエレ・デ・ロッシだった。ローマではトッティの公式戦出場記録786試合に次ぐ、歴代2位の616試合に出場したレジェンドだ。スペシャル・ワン解任への不満の声を封じ込めるには、これ以上ない、いや、これしかない後任監督だった。

 契約は、オプションなどの条項はつかない2024年6月までの契約。デ・ロッシは入団会見後の会見で「会長と副会長には、契約金については、あなた方が記した金額で、私はサインする。その代わり、レジェンドや元バンディエラとしてではなく、一人の監督として扱ってほしいと要求した」と、契約金については、いくらでも構わなかったとの見解を示した。

 2019年6月のローマ退団を経て、翌年1月にボカ・ジュニオルスでの挑戦を終えると同時に現役を引退。その後は、指導者としての道を歩み、イタリア代表に当時の指揮官ロベルト・マンチー二の強い意向で、テクニカル・コラボレーターとして招へいされた。主に選手と監督のパイプ役を務め、欧州選手権(EURO)制覇に少なからず貢献した。そして、代表スタッフを辞任すると、2022年10月11日、セリエBのSPALとの契約が発表された。

 ロベルト・ヴェントゥラート監督の後任として、指揮官デビューを飾ったものの、リーグ戦では、3勝6分7敗の17位と振るわず、翌年2月14日に解任の憂き目にあった。マッシモ・オッドに指揮を託したSPALは、残留争いの渦に飲み込まれ、19位でシーズンを終えて、セリエC降格となっている。指揮官デビューは、散々な成績だったこともあり、ローマでの指揮に、就任当初は過度な期待はなかった。クラブの英雄の突然の帰還を、温かく見守ろうとの見方が強かった。

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