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セリエA 1か月前

愛された男から愛される男へ。ローマが乗り越えた名将解任の余波。デ・ロッシがクラブを蘇らせた理由【コラム】

シリーズ:コラム text by 佐藤徳和 photo by Getty Images

「このチームに残るため、死ぬまで戦う」

ローマを率いるダニエレ・デ・ロッシ監督
【写真:Getty Images】



 しかし、蓋を開けてみると、リーグ戦では11試合を終えて、8勝2分け1敗と望外の結果に。もはや、モウリーニョの喪失を嘆く声は聞こえてこない。ELベスト16では、ブライトンを撃破。ホームでの第1戦には4-0と完勝を果たし、親交がありビッグクラブからの引き抜きの噂が絶えないロベルト・デ・ゼルビ監督から、見事にお株を奪った。

 そして、ハイライトは宿敵ラツィオとのデルビー。直近の4試合は1分3敗と、もう負けが許されない中での勝利だった。2022年3月20日以来の白星に、デ・ロッシは、試合後に咆哮を放った。

「監督としてデルビーに勝利することは、選手時代とはまったく異なる気分だ」と監督としてのデルビー初勝利に喜びを爆発させた。就任後は、攻撃陣が躍動。とりわけ、カピターノのロレンツォ・ペッレグリーニを蘇らせたことは何よりも大きかった。ローマでカピターノを担ったデ・ロッシであるからこそ、ペッレグリーニの苦悩に寄り添い、再生させることができたのかもしれない。SPAL時代からの参謀で、現在ローマで副監督を務めるギジェルモ・ジャコマッツィはこう評す。

「ダニエレとは5年前に共通の友人を介して知り合った。それから2年半前にローマでの夕食会で、偶然再会し、彼が私にスタッフの一員として働かないかと言ってくれた」と出会いの経緯を明かすと「お互い同じサッカーのビジョンを持っているんだ。彼はピッチでどう動くべきか、自身のアイデアを選手やスタッフに理解させる能力が高い、素晴らしいコミュニケーターだ。我々はハードワークし、SPAL時代と同じように、練習場には朝7時に来て、夜8時まで残っている。情熱を持ち、ゆっくりと成長し続けることが重要だと思っているよ」

 デ・ロッシは、ローマ第10区の海辺の町、オスティアの生まれだ。この町のアマチュアクラブ、オスティア・マーレでプレーしていたときのエピソードがある。11歳のときに、このクラブからローマに引き抜かれているが、9歳のときに、1度はローマへの移籍を拒否した。その理由は、「仲間と一緒にサッカーをしていたかった」からだという。そのオスティア・マーレのチームメイトは、当時のデ・ロッシをこう回想する。

「僕らの中では、かなり上手かったけど、デ・ロッシは誰かを除外するようなことはしなかった。それどころか、紅白戦でチームを作る際には、あえてちょっと下手な仲間を選んで、励ましていた。その頃から、偉業を成し遂げるという意義をわかっていたのだろう。そういったこともあって、彼はローマに留まり続けたのだと思う」

 仲間を大切にする姿は今も変わらない。ディバラやペッレグリーニが、ゴール後にデ・ロッシに一目散に走り寄るシーンは印象的だ。40歳の青年監督が、選手たちからも慕われている証拠だろう。

「このチームに残るため、死ぬまで戦う」と覚悟を決める。契約更新には、CL出場権獲得が条件となるようだが、デ・ロッシ以上にローマにふさわしい指揮官が果たしているのだろうか。

(文:佐藤徳和)

【了】

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