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インターハイでは別格も…。プロで消えた高校サッカーのスター(5)「僕を出したら優勝できる」異質な存在だった和製フリット

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

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 高校サッカーで名を上げ、プロの世界に入ってくる選手の活躍は楽しみだが、大会で注目を集めながらもプロ入り後にパッとしなかった選手もいる。今回は、インターハイでインパクトを残しながらも、プロとして期待されたほどの活躍ができなかった選手を紹介する。

FW:石塚啓次(いしづか・けいじ)

石塚啓次 東京ヴェルディ ヴェルディ川崎
【写真:Getty Images】

生年月日:1974年8月26日
出身高校:山城高等学校
主な在籍クラブ:東京ヴェルディ、コンサドーレ札幌、川崎フロンターレ、名古屋グランパス

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 京都府立山城高等学校出身の石塚啓次は、1992年のインターハイに出場。チームは2回戦敗退に終わったものの、そのプレーと存在感で注目を集めた選手だった。

 石塚は、FWの一列下で山城の攻撃をけん引。183cmという恵まれた体格ながら、繊細なボールタッチで守備を翻弄するプレーは「和製フリット」と称された。

 そのプレースタイルに加え、茶髪にアクセサリーという風貌も話題に。当時の高校サッカー界では異例の存在だった。冬の全国高校サッカー選手権では負傷のため決勝まで出番はなかったが、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)への加入が内定していたこともあり、ベンチに座っているだけで何度も中継で取り上げられるほどの存在だった。

 プロ2年目の1994シーズンにJリーグデビューのチャンスを手にした石塚は、ガンバ大阪戦で決勝点となるミドルシュートを決め、試合後のインタビューに応じた。すると、「僕を出したら優勝できますんで、よろしくお願いします」と発言し、賛否を呼んだ。

 その後も個性的な存在として知られ、2000年には29試合出場6得点を記録するなど一定の活躍も見せたが、プレーで大きなインパクトを残すには至らなかった。

 2003年に現役を引退した後も、石塚は独自の道を歩む。アパレルブランドのプロデュースや、スペイン・バルセロナでのうどん店経営など、その自由な発想と行動力で異色のキャリアを築いている。

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【了】

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