
味方から敵へ裏切ったJリーガー5選【写真:Getty Images】
サッカーの世界において、移籍の経緯や移籍先などが物議をかもすことは日常茶飯事である。1993年5月の発足から34シーズン目を迎えたJリーグでも、古巣サポーターに複雑な感情を抱かせる移籍劇の主人公となった選手は多数存在していることをご存知だろうか。今回は、センセーショナルな形でライバルクラブに移籍したJリーガーを5人ピックアップして紹介する。※データは『Transfermarkt』を参照(8月31日時点)。[5/5ページ]
FW:播戸竜二(ばんど・りゅうじ)

セレッソ大阪の播戸隆二【写真:Getty Images】
生年月日:1979年8月2日
移籍日:2010年1月1日
移籍先:ガンバ大阪→セレッソ大阪
【愛するクラブから告げられた別れ】
ガンバ大阪サポーターは、桜色のユニフォームに袖を通した播戸竜二を憎みきれないだろう。
ガンバの黄金期創出に大きく貢献した黄金世代屈指のストライカーは、ガンバ退団後にセレッソ大阪への完全移籍を決断。本来ならば“大阪ダービー”で火花を散らす宿敵に加入したことで多くの批判を浴びてもおかしくないのだが、播戸は愛するガンバから契約更新しない旨を告げられ、退団を余儀なくされていたのだ。
1998年に月給10万円の条件で練習生としてガンバに入団した播戸は、コンサドーレ札幌(現:北海道コンサドーレ札幌)とヴィッセル神戸でのプレーを経て、2006年に古巣のガンバに復帰した。
この頃のガンバは、天皇杯やAFCチャンピオンズリーグで優勝を経験し、FIFAクラブワールドカップでも3位に入る大躍進期。播戸は2009年1月1日に行われた天皇杯決勝で優勝を決めるゴールを決めている。
しかし、プロの世界は非情なもので、播戸は2009シーズン限りで契約満了。当時のガンバは世代交代をはかっており、当時30歳の播戸はチーム編成の割を食う形となってしまった。
【手を差し伸べたのはまさかのライバルクラブ】
傷心の播戸に獲得オファーを送ったのがセレッソだった。移籍発表時、播戸は「今回、僕を必要としてくれ、一番に声をかけてくださったセレッソ大阪の皆さんに感謝しています」(2010年1月5日掲載/セレッソ大阪公式サイト)と感謝を述べている。
移籍後初の“大阪ダービー”が実施されたのは2010年3月14日。ベンチスタートとなった播戸は87分に途中出場し、敵地『大阪長居スタジアム』を訪れたガンバサポーターから“お約束”のブーイングを浴びた。
とはいえ、播戸に対するガンバサポーターの反応は殺伐とまではしていなかった。むしろ、同じタイミングでピッチに登場した家長昭博の方が、ガンバユース出身者ということもあってかより強い憎悪がぶつけられている。
【著者プロフィール:編集部】
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