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アジア 8年前

増田誓志が感じた恐怖心。融合と反発の4年間で見た韓国サッカーの良し悪し【Kリーグの日本人】

シリーズ:Kリーグの日本人 text by キム・ドンヒョン photo by キム・ドンヒョン

「だめになる」増田が感じた“怖さ”

「ここって茨城と似ていますね。重工業団地で、海沿いで。最初来たときから思っていました」

 増田は蔚山のイメージについてこう言い出した。筆者も蔚山は初めてということもあったが、確かに茨城とはその雰囲気が似ていた。海が近くて、重工業団地。それに両方ともビッククラブを有することさえも。

 高校卒業直後の2004年鹿島でデビューしてから、2010年出番を求めて山形に移籍した1年を除くと8年間という長い時間を鹿島で送った。ある意味、蔚山への移籍は彼にとって真の「初移籍」だったのである。なぜ彼は韓国を選んだのか。「怖さもあった」と思わぬ一言を口にした。

「アントラーズにいて、ここにずっといれば変わることがないのではないかと思った。そのとき、蔚山からオファーがあったというか、『来るのであればオファーする』というような感じで話が進んだ。

 山形に行く時とはちょっと違って、移籍すれば試合に出られるという自信はあったけど……(少し考えて)変えたかったというか、変えなければもうだめになってしまうのではないかという怖さがあった」

 意外な言葉だった。Jリーグ通算200試合出場をも達成しているボランチは一体何が怖かったのか。

「このままでは続けられなくというか、サッカー選手と言えなくなるという感覚。鹿島の最終年にあまりよくなかった。自分的にもチームに全く貢献できなくて、(監督から)言われることはできていたんだけど、自分らしさも出せずに自信を失っていた。

 鹿島というクラブの環境はすごくいいのでいられることはできたと思う。でも『そこで終わってしまうのではないか、これじゃだめだな』とマイナスに考えていた。もし鹿島に残っていたら全く変わらなかったと思う」

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