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日本代表 11年前

日韓サッカーについて考える―プラカード問題、因縁の歴史、ライバルとしての未来。(後編)

text by 植田路生 photo by Ryota Harada

後藤「日本が勝った試合を見て泣いたのはドーハが最後」

――山本さんは実際に実況していて善戦しているけど勝てないと感じましたか?

山本「日韓戦の放送に臨む時はある種の覚悟を持っていました。最後で非常に冷たいものを浴びて帰ってくる可能性が大いにあると。だから序盤で点を取っても、あまり喜んじゃいけないなと、だんだん感じるようになるんです。そうすると他の試合だと喜ぶのに、何か日韓戦だと抑えた自分がいたりするんです。終わってメディアの人達と会ったりしても、みんな肩が落ちて、なんとなくしょげ返っているような、そういう時代がかなり長かったですね。あの財徳(健治、東京新聞のベテラン記者)さんでさえ本当にもう伏し目がちで」

――お話を伺っていると、対戦成績は盛り返してきましたが、日韓の構図的にはまったく変わっていない印象です。

後藤「日本が勝つ場合も、日本はパスを回して点を入れる。去年の札幌の試合みたいに。負ける時もそうやって回っているけど入らないで負ける。それはもう30年代からずっと変わっていない」

――80年代は韓国に完全になめられていたんでしょうか?

後藤「60年W杯予選に出場した文正植(ムンジョンシク)さんにソウルでインタビューしたことがあるのですが、『日本とやる時特別な感情ありましたか』って聞いたら、『いや日本には負ける気がしなかったから別に何とも思わなかった。イスラエルは強敵だったけど』とか言われましたよ」

山本「私はなめているという感じはまったくなく、負ける気がしないと堂々としているという印象です。こっちはカステラ。鉄の壁に投げつけたら砕ける、それぐらいの違いですね」

――日韓の力関係が変わってきたのは、やはり90年代ですか?

後藤「そうだね。Jリーグができて、育成も上手くいき始めた。互角の相手と多分向こうも思ってくれているだろうし。こっちもやる前から負けるとは思わなくなった」

「元北朝鮮代表の金鐘成(キムジョンソン)さんは92年のダイナスティカップ、あれでもう逆転された感覚を受けたと言っていましたね。韓国はまだ勝てるだろうというのはあったと思うんですけど。サッカーって勝てるだろうって思ったりとか、勝った経験ってものすごく大きいですよね。韓国が日本とやる場合、やっぱりそれがすごい積み重なっていたんだと思います」

――僕が印象に残っているのは、ドーハでやったアメリカW杯最終予選での1-0での勝利。みなさんはその時勝てると思っていましたか?

後藤「もちろん勝てると思って見ていましたよ。で、日本が勝った試合を見て泣いたのはあの時が最後だった。あ、韓国に勝ったって」

佐山「僕の場合は、その日の日記の一行目が『ついに韓国に勝利する。コリアに覇者の驕りか』。――ですからね」

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