【前編はこちらから】 | 【サッカー批評issue58】掲載
負け続けた80年代屈辱の日韓サッカー史
――昔は日韓戦で勝ったからって韓国がパフォーマンスするなんてことは…。
後藤「ないね。いつも(韓国が)勝っていたから」
佐山「底打ち感があったのは、加藤久がキャプテンになりたての頃の84年9月30日、(第12回)日韓定期戦ですかね。白地に襟と半袖だけブルーの縞模様のアシックスのユニフォーム着てた頃。韓国は若手主体なのに3-0で勝つとなめてきて、結果は1-2(前半1-1)蚕室(チャムシル・ソウルオリンピックスタジアム)で勝った」
後藤「そう、蚕室のこけら落とし」
佐山「もうどん底はここまでかなと」
山本「うん。あと東大門(トンデムン・かつてソウルにあった競技場。07年に閉鎖)でも1回勝ってるでしょ?」
後藤「いや、東大門では勝っていないです」
佐山「あの界隈はまだスポーツ用品屋がたくさんあるんですか?」
黄「ありますよ。でも僕、朝鮮籍なので、李明博(イミョンバク)政権になってから入れないんですよ。一応、北朝鮮はテロリストに占拠されている、というのが韓国の設定なので。逆もしかり。だから、韓国に入る時、韓国の臨時パスポートを発行してもらう必要がある。政権が変わったりすると、発行してもらえなかったりするんです」
佐山「北朝鮮にも独島問題は?」
黄「ありますよ。むしろ自分達のものだと思っているはずです。昔、統一チームができた時、国旗の地図には独島の“点”もありましたから。ただ、それよりも38度線の方が領土問題として考えたら大きいから構っていられない、と」
――サッカーの話に戻しますが、底打ちの頃は、負けっぱなしですか?
後藤「フル代表同士の戦いでは、59年のローマ五輪予選で日本が勝って、それ以来ずっと勝ったことがない。74年の日韓定期戦で勝って、その次が蚕室。でもそれは親善試合」
佐山「しかも相手は1・5軍」
後藤「ローマ五輪予選以来初めてW杯や五輪予選で勝ったのは、ドーハの悲劇の時のカタールでの試合。だから59年~93年まで一度も勝てなかった。屈辱の35年間。35年のハン(恨)があります(笑)」
――試合内容はどうです?
山本「全然勝てないという感じでした」
後藤「負け方がどうしようもないんだよ。善戦しても最後にやられる。残りあと1分とかでスコーンと。向こうが完璧な出来なら仕方ないなと思うんだけども、日本の調子が良くて韓国が戦力を落としていたりしても、開始3分で1点取られてそのままっていう負け方を何度も繰り返す。負ける方にとってはダメージ大きいよね」
佐山「得点力不足はその間ほぼ言われ続けていましたね」