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日本代表 11年前

日韓サッカーについて考える―プラカード問題、因縁の歴史、ライバルとしての未来。(後編)

text by 植田路生 photo by Ryota Harada

山本「僕は手を抜いたのかな、と思いましたよ。ひょっとして一緒に行こうとしているのかな、ぐらいの感じでしたよ」

佐山「ラモスをボランチにした1-0(前半0-0)のあの試合は、山本さんが実況されていましたよね。何かしら欝感のようなものが伝わってきました。炎熱地獄と世界の二流地域感漂うセントラル方式というのも不快だったな、僕の場合は」

山本「あの時の最終予選は何か殴られてから始まったような感じがありました。最初からこんなにやられちゃうの、みたいな」

――では山本さんとしては、勝てるとまでは思っていなかった。

山本「ずっと厳しいと思っていましたよ。韓国に勝てるなんて思ったこと、あったかな。ほとんどないような気がしますね」

佐山「4戦目ということでの疲労と勝ってもまだ歴代7勝31敗13分けという戦績でしょう。痛い敗戦の累積が選手に重かったんですよね。だからその直後から“新大陸の光”が見えてきた。カズのゴール時点で視聴率42%超えた?! みたいなことで大喜びして、選手もメディアも舞い上がっちゃった」

後藤「勝った経験のない人が勝つとね。見ている人も泣いちゃうくらいだし」

佐山「経験者が言うとリアリティが違う(笑)

盛り返した90年代良きライバルとしての未来

――山本さんはずっと忸怩たる思いで見てきた感覚だと思いますが、それが変わってきたのっていつ頃ですかね?

山本「98年を越えてからだと思いますよ。W杯に出て、韓国側も日本がついに出られるようになったか、ぐらいの認め方をしたような気がするんですよね。流れが変わるきっかけはJリーグが創設された93年でしょう。韓国の選手も盧廷潤(ノジュンユン)を先頭に代表クラスがたくさん来た。肘打ちしてきた選手たちが、一緒にプレーすることである種の交流が生まれたような。そういうのって大きいと思うんですよね。ただ、サッカーのレベルが近づいても、わかり合えない部分は残りますけども」

――と言いますと?

山本「日本が韓国と戦う時に、韓国が日本と戦うような気持ちや体の準備をしているかっていうとなかなかそうなっていない。なんとなく、『韓国を倒すためにこの五輪はその一点を目指そう』という体制にはなりにくいですよね」

佐山「何か小洒落たサッカーで負かせてやるみたいな、技術主義的なノリ。そこに記号の戯れを超えた価値が本当にあるのかどうか。清武を見ても若干ヘラヘラしてたように見えたし。でも、ヘラヘラが韓国人はものすごくイヤみたいですよ。90年代の初めにあった日韓プロ野球スーパーゲームのときでも落合が三振してニヤニヤしてたら韓国民が理解不能に陥ってめちゃくちゃ怒ったらしいですし」

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