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日本代表 10年前

香川が回想するザックジャパン。アジアカップで見せた眩い輝き、その後に続く不完全燃焼の始まり

日本代表が優勝した2011年のアジアカップ。その後、チームが波に乗るきっかけとなった大会だが、香川真司は怪我もあり、途中で中東の地から去っている。香川にとってアジアカップはどんな大会だっただろうか。本人の言葉から振り返る。

text by 元川悦子 photo by Kenzaburo Matsuoka

「今はトップ下でやりたいですね」

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香川真司【写真:松岡健三郎】

 かつて木村和司、ラモス瑠偉、名波浩、中村俊輔といった屈指のテクニシャンたちが背負ってきた日本代表のエースナンバー10。この偉大な背番号を香川真司が初めてつけたのが、2011年アジアカップだった。

「10番には誇りも感じますし、それとともに結果も求められる。点の取れる新たな10番像を目指したい」と本人も強い意欲を胸に、カタールの地に赴いた。2010年夏に移籍したボルシア・ドルトムントではブンデスリーガ前半戦17試合8得点という目覚ましい活躍を見せ、評価も急上昇していた。本人の中にも少なからず自信が芽生えていたはずだ。

 だが、ザックジャパンで与えられたポジションはドルトムントで実績を残してきたトップ下ではなく、4-2-3-1の左MF。

「ドルトムントでは中で固定されているからやりやすい。左サイドには左サイドの楽しさやよさがあるとは思うけど、今はトップ下でやりたいですね」と代表でも同じ位置を希望したが、そこには本田圭佑が君臨している。香川自身、どこか割り切れない思いを抱いた状態で大会に入ることになった。

 それもあってか、9日の初戦・ヨルダン戦は動きが固い。「自分はスペースがあった方が生きるタイプ。ブロック敷かれた時は、力の差があったとしてもゴールが簡単に入るとは思ってないんで、アジアカップは難しい戦いになる」と本人も予想した通り、ゴール前を固めてくる相手に苦しみ、ペナルティエリア内の得意ゾーンに侵入しきれない。

 前半の決定機も決めきれず、本来の鋭さが影を潜めてしまう。13日のシリア戦も無得点のまま後半途中に交代。大会序盤は波に乗れなかった。

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