「サッカーにあまり熱心ではなかった」少女が再び世界一を目指す。父が語る鮫島彩の原点

2015年06月21日(Sun)10時00分配信

text by 鈴木康浩 photo getty images
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周囲の人たちを大切にしていたからこそ素晴らしい出会いに恵まれていた

「サッカーにあまり熱心ではなかった」少女が再び世界一を目指す。父が語る鮫島彩の原点
鮫島彩がサッカーを辞めてしまっていたら、世界一になることもなかった【写真:Getty Images】

 本人は、クラブチームのジュベニ―ルでサッカーだけをやっていると、学校の友人たちの話題についていけないという危機感があったみたいです。

 サッカーも好き、ジュベニ―ルの仲間も好き、学校の友だちも好き、だからサッカーもテニスも両方やることにしたようです。たまたまジュベニ―ルの公式戦とテニス部の公式戦がほとんど重ならなかったので両立できたようです。

――なるほど。そして、中学3年生のときU15栃木県選抜に選出されています。このとき鮫島選手はすでにワールドカップや五輪を目指していたのでしょうか。

 U15栃木県選抜では全国3位の成績を残せたのですが、そのときにJヴィレッジでプレーしていた姿が、全日本高等学校女子サッカー選手権大会でも優勝経験のある常盤木学園(宮城)の阿部由晴監督の目に留まったようです。それで声をかけられたようです。

 本人はもともと、そこまで熱心にサッカーの道に進むつもりはありませんでした。県内の女子高にもサッカー部はありましたし、そこでサッカーを続けながら、将来は看護師になることを考えていたみたいで……。

 同じくジュベニ―ルで育った安藤梢は小学校のときから「世界一になる」と口にしていましたから、全く性格が正反対なんですよ。スカウトを受けてから、当時の彩をよく指導していたジュベニ―ルの泉文夫コーチと相談を繰り返して、本人も覚悟を決めたようです。常盤木学園では1年生からレギュラーとして出場させてもらいました。

――そういう進路を決めるとき、お父さんはどのようなスタンスだったのでしょうか。

 相談をされれば受け答えはしますが、私も母親も「最終的に決めるのはお前たちだよ」と常に伝えてきました。そうやって長男も次男も、そして彩も、自分で自分の道を決めて、切り開いてきました。あのとき彩がサッカーを辞めてしまっていたら、世界一になることもなかったでしょう。

 彩はこれまで何回かサッカーを辞めるかどうかを悩むタイミングがありました。今振り返れば、彩も周囲の人たちを大切にしていたのだと思いますが、本当に良き指導者、良き先輩、良き仲間、良き友人たちに恵まれていたと思いますね。

【了】

プロフィール

鮫島彩(さめしま・あや)
1987年6月16日生まれ。栃木県宇都宮市出身。INAC神戸レオネッサ所属。小1のとき、河内SCジュベニールでサッカーを始める。元々は、突破力を武器にするサイドハーフだったが、2008年になでしこジャパンに初選出されるとサイドバックにコンバート。2011年には左サイドバックのレギュラーとしてなでしこジャパンの優勝に貢献。今大会でも第二戦目(vSカメルーン代表)でゴールを決めるなど活躍を見せている。

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