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パンサー・尾形さんのサッカー人生と後輩・中村憲剛。「本当の長老になってほしい!」【INTERVIEW】

シリーズ:FChan TV text by 中山佑輔 photo by Asuka Kudo/ Football Channel, Getty Images

背番号10を背負った仙台育英高校時代

サンフレッチェ広島などでプレーした中島浩司氏。高校時代は尾形さんとチームメイトだった
サンフレッチェ広島などでプレーした中島浩司氏。高校時代は尾形さんとチームメイトだった【写真:Getty Images】

―――スイーパーなのにドリブラーだったと。

 そうです、スイーパーなのにゴリゴリのドリブラー。スイーパーなんて本当にやりたくなかったですけど、でもそれが高校になって効いてくるんですよ。高校になるとドリブルなんて抜けないから。抜けなくなってきて、トップ下ほどパスセンスもないし、どうするってなったときに、俺ボランチでファイターになるんですよ。スイーパーやってたことで、ディフェンスの楽しさとか読みの楽しさとかがわかってきたんです。それで高校はずっとボランチですね。

―――尾形さんが通われていた仙台育英高校って強豪校じゃないですか。試合は割と早い段階から出られていたんですか?

 高2の終わりぐらいからベンチとか入り始めて、最後は10番をつけました。ずっと中島(浩司:ジェフ千葉、サンフレッチェ広島などでプレーし2013年に現役引退)がつけてたんですけど、最後の最後に俺が(笑)。俺らの10番は調子いいやつがつけるんすよ。監督が調子いいやつに渡す。それで中島は8番になったのかな。

―――中島選手が現役を引退されるときに、尾形さんはTwitterで「高校時代は練習で中島を削りにいってた」ってツイートされていたとか。

 そうですね。俺ハンパなかったですよ、あいつがボール持つと。負けたくないっていう気持ちで。

―――中島選手ってプロになってからは後ろのほうでプレーしていましたけど、元々はトップ下の選手ですよね。ということは、紅白戦とかになると、尾形さんとマッチアップする格好に。

 そうです、マッチアップです。マンツーでガリガリ削って。でもあいつ文句言わないんですよ。明らかなファウルで倒されても、すくって立って、何もなかったような顔をする。でもあいつもバーンってやってくることはあって、そこで俺が「おい!」って言うんです。あいつ闘志はあるんだけど、そういうのは嫌いなやつだから、その怒りには乗ってこなくて。その感じも腹立ってきてね(笑)。でもやっぱ上手かったし、試合の時は心強かったですね。

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