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日本代表 8年前

中島翔哉の帰還。J3でのプレー、長期離脱を経て、帰ってきたU-23アジアMVP

text by 藤江直人 photo by Getty Images

右ひざの負傷でボールに触れなかった日々

 果たして、チョンブリFC(タイ)に9-0で大勝したACLプレーオフ、J1開幕前に行われた全北現代(韓国)とのグループリーグ初戦で中島はベンチにも入れない。その胸中を、安間氏はFC東京U-23監督の立場からこう慮っている。

「オリンピック出場を決めて、MVPまで獲得して帰ってきて、翔哉自身も『やってやるぞ』という気持ちをもっていたと思う。もちろんJ1で試合に出られるのがベストだけれども、ポジション争いをしている合宿中にU-23代表として活動し、チームがある程度できあがった段階で帰ってきたのも事実です。

 こういう状況で、いまはFC東京のトップでプレーするためのワンチャンスをつかむためにしっかりと準備を整え、歯を食いしばりながらこっち(U-23)でプレーしている。トップのなかの一人を翔哉が蹴落とし、組織のなかへ入っていけばFC東京もまた強くなる。翔哉にはそれを具現化してほしい」

 J3が開幕した時点で、カタールの地でともに死闘をくぐり抜けてきたU-23日本代表の盟友たちは、それぞれの所属チームで主力として戦っていた。

 昨シーズンまでは遠藤航(当時湘南ベルマーレ)、大島僚太(川崎フロンターレ)、岩波拓也(ヴィッセル神戸)くらいだったレギュラー選手が、植田直通(鹿島アントラーズ)を筆頭に一気に増えた。

「トップチームでベンチ外の選手は、自分以外では一人もいないと思うので」

 ポツリと漏らした言葉に、偽らざる本音が凝縮されていた。それでも、芳しくなかった下馬評を鮮やかに覆し、リオ切符をつかみ取った過程で心技体をたくましく成長させたのは彼らだけではない。そう信じているからこそ、中島は必死に言葉を紡いでいる。

「大宮との開幕戦に途中から出て、これからもっと上がっていくと自分では思っていた。当然のことですけど、J3よりもJ1で試合に出るほうがいい。J1で成長を積めるように、もっともっと成長して、こういう(J3の)試合で勝っていかないといけない。オリンピックは自分にとっても本当に重要な大会なので、あの舞台で勝つために、一日一日を大事にしていきたい」

 中島が右ひざを痛めたのは、FC東京U-23の一員として5試合連続でフル出場し、ガンバ大阪U-23戦で引き分けて初めて勝ち点を得た直後だった。

 リハビリに明け暮れ、サッカーボールに触れることのできなかった日々を中島はこう振り返る。

「つまらなかったですね」

 辛いではなく、つまらない。「でも筋力トレーニングなど、できることはかなりやりました」と無邪気な笑顔を浮かべた中島は、生粋のサッカー少年の面影をいまも色濃く残している。

 だからこそ、目の前の試合で勝ちたいとすべての能力を解き放つ。鋭いドリブル突破だけでなく、164cm、64kgの小柄な体に搭載された無尽蔵のスタミナを駆使し、労を惜しむことなく前線からの守備に奔走する。

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