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現役ブラジル代表主将にして、磐田に加入したドゥンガ。危機感不足に驚いたJリーグ時代【フットボールと言葉】

異なる言語間では、翻訳困難な語は無数にある。それはフットボール界においてもしかり。外国のフットボーラーが語った内容を、我々はしっかりと理解できているのだろうか。選手、監督の発した言葉を紐解き、その本質を探っていきたい。今回は、リデランサ(リーダーシップ)をキーワードに、前ブラジル代表監督ドゥンガのサッカー観を紐解いていく。ブラジル代表キャプテンとしてW杯優勝を経験した選手が、Jリーグでのプレーで感じたものとは何だろうか?(取材・文:竹澤哲)

シリーズ:フットボールと言葉 text by 竹澤哲 photo by Getty Images

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一回のチャンスを決められ敗退した90年W杯

ハードなプレーが持ち味だったドゥンガ
ハードなプレーが持ち味だったドゥンガ【写真:Getty Images】

 ドゥンガはブラジル南部、リオグランジ・ド・スル州ポルト・アレグレのインテルナシオナルで頭角を現し、その後、いずれもブラジルの名門クラブであるコリンチャンス、サントス、ヴァスコ・ダ・ガマで活躍し、その後88年にイタリアへ渡っている。

 プレースタイルはボランチとしてのハードマーク、右足の強いミドルシュート、そして何よりもドゥンガの一番の特徴だったのは、ピッチ上でみせるリーダーシップだった。

 代表においては90年のワールドカップを目指すラザローニ監督のセレソン(編注:セレクションを意味するポルトガル語。ブラジル代表のことを指す)で中心選手となる。

 82年大会、86年大会とテレ・サンターナ監督率いるセレソンはジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾ、いわゆる黄金のカルテットと呼ばれる中盤を擁し、美しいサッカーを繰り広げたが、いずれも優勝という結果を出せなかったため、90年大会はなんとしても優勝が求められていた。結果を重視したサッカーを標榜しなければならない中で、ラザローニ監督にはドゥンガのような、しっかりとマークを行い、闘志をむき出しにして戦う選手が必要だったのだ。

 89年コパ・アメリカに優勝したブラジルは、90年ワールドカップイタリア大会の優勝候補とされていた。

 ところが本大会が始まると、グループリーグは全勝したものの、決勝トーナメントラウンド16で、アルゼンチンに敗れてしまう。ブラジルが試合をほとんど優勢にすすめながらも、アルゼンチンはたった一回のチャンスをものにした。マラドーナからのパスをカニージャが決めたのだ。

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