土壇場で遅れを取り戻した「フラット3」。トルシエが築いた土台。潮流に合った戦術変更【西部の4-4-2戦術アナライズ】

アトレティコの躍進を受けて、復活の感がある4-4-2システム。Jリーグで頻繁に採用される一方で、意外にも日本代表ではそれほど使われてこなかった。だが、トルシエ監督が日本代表を率いた時代の戦術「フラット・スリー」は、ミランで勃興した4-4-2戦術の流れを汲んでいた。2002年日韓ワールドカップでは、同戦術のマイナーチェンジにより、日本はベスト16進出を果たしている。(文:西部謙司)

2016年08月24日(Wed)10時19分配信

シリーズ:西部の4-4-2戦術アナライズ
text by 西部謙司 photo Getty Images
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“時代遅れ”になっていたミラン流のハイライン

2002年W杯、ロシア戦のスターティングメンバー。日本の同大会初勝利を勝ち取った
2002年W杯、ロシア戦のスターティングメンバー。日本の同大会初勝利を勝ち取った【写真:Getty Images】

 フィリップ・トルシエ監督の率いた日本代表は、「やられそうでやられない」のが特徴だった。「フラット・スリー」による高いディフェンスラインは一発で裏をつかれるリスクと隣り合わせだったが、それを誘い水に緻密な組織守備で迎撃していた。しかし、2002年ワールドカップの段階では少なくとも4年遅れの戦術だった。

 当初、ミランがやっていた非常に高い位置でのラインコントロールは、わりと早い段階で低めに設定し直されている。1994年米国ワールドカップでは、ミランでこの守備戦術を始めたアリゴ・サッキ監督が率いていたにもかかわらず、イタリアのラインはそれほど高くない。酷暑の米国では、ラインコントロールとセットになっているプレッシングが難しかったからだ。

 1998年フランスワールドカップでは、アルゼンチン戦でのデニス・ベルカンプ(オランダ)の美しいゴールのように1本のパスで裏をつく攻撃が浸透していて、この大会ですでにラインは下がっていた。

 ミラン型戦術の普及とともに対策も進んだヨーロッパでは、守備も修正が繰り返されていた。一方、98年に就任したトルシエ監督は4年後の自国開催に向けてヨーロッパに追いつくべく突貫工事のようにチームを作っていったわけだが、そこにヨーロッパのような厳しい競争はない。

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