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Jリーグ 8年前

浦和・関根貴大、「24」番を背負い躍動。21歳のMFが追いかけてきた原口元気の背中

text by 藤江直人 photo by Getty Images

「コイツがいるので、オレは何も心配していません」

以前の関根は浦和レッズで26番を背負っていた
以前の関根は浦和レッズで26番を背負っていた【写真:Getty Images】

 レッズでプレーしていたときから、左サイドは「原口ゾーン」と呼ばれた。タッチライン際からドリブルでカットインして、スピードに乗った状態から右足で放つシュートは対戦相手の脅威になった。

 その「原口ゾーン」はブンデスリーガ仕様でさらにパワーアップ。加えて右サイドからもドリブル、シュート、味方とのコンビネーションを駆使した崩しと多彩なバリエーションを搭載していた。

 レッズの育成組織出身の偉大なる先輩として。そして、左右の両サイドを主戦場とする快足ドリブラーとして。4歳年上の原口の眩しく、大きな背中を関根はずっと追いかけてきた。

 迎えた2014シーズン。関根の昇格とともに、2人はレッズで初めて同じ時間を共有する。そして、ヘルタ・ベルリンへ完全移籍するまでの約半年間で、原口は自分の後継者は関根だと確信していく。

 原口の壮行試合を兼ねた、2014年6月1日の名古屋グランパスとのナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)予選リーグ。埼玉スタジアムのピッチ上で、原口はファンやサポーターへこんな言葉を残している。

「コイツがいるので、オレは何も心配していません」

 コイツとは、試合後のセレモニーで原口への花束贈呈役を担った関根。この瞬間、ルーキーはある決意を固めている。オフになって、背番号を「26」から「24」に変えたいとフロントに申し出た。

 レッズの「24」番は、原口がルーキーイヤーの2009シーズンから5年間にわたって背負ってきた。憧れの存在から託されたバトンを、背中の重みとともに引き継いでいく覚悟の表れでもあった。

 背番号の変更が認められた昨シーズン。5月のJ1月間MVPを受賞するなど、史上初の無敗でのファーストステージ制覇に大きく貢献した関根はこんな言葉を残している。

「ようやく背番号を意識しないようになったけど、浦和レッズのサポーターの方々は期待してくれていると思うし、その期待に恥じないプレーをしようと常に言い聞かせながら試合に臨んでいます」

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