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日本代表 7年前

東京五輪世代のエース、小川航基の現在地。U-20W杯出場権獲得。ポジティブな風をジュビロへ

中東バーレーンで開催されたAFC・U-19アジア選手権を日本サッカー史上で初めて制し、来年5月から韓国で開催されるFIFA・U-20ワールドカップへ、実に5大会ぶりに挑むことも決めたU-19日本代表。エースストライカーとしてチーム最多タイの3ゴールをあげ、4年後の東京オリンピックでも主役の一人を担うと期待されるジュビロ磐田のルーキー、FW小川航基の「現在位置」を追った。(取材・文:藤江直人)

text by 藤江直人 photo by Hiroyuki Sato, Getty Images

脳裏をよぎった「あの悪夢」

U-19日本代表のFW小川航基
U-19日本代表のFW小川航基【写真:佐藤博之】

 悪夢が脳裏をよぎる。勝者と敗者を残酷なまでに、天国と地獄にたとえられるほど鮮明に分け隔てるPK戦。ともに4人ずつが蹴り終え、最後の5人目のキッカーとして臨もうとしていたU-19日本代表のFW小川航基(ジュビロ磐田)は、苦い記憶を蘇らせていた。

「自分があそこで出てきて(PKを)蹴るというのは、みんなも『外しそうだ』と思っていたらしくて。自分もさすがに頭の片隅にはありましたけど」

 今年1月3日に行われた全国高校サッカー選手権大会3回戦。桐光学園(神奈川県代表)のエースとして臨んでいた小川は、2‐2のままもつれ込んだ青森山田(青森県代表)とのPK戦で5番手を担った。

 2試合連続の2ゴールをあげていた小川だったが、決めればハットトリックとなる後半10分のPKをゴールバーの上に外していた。そして、後半アディショナルタイムにまさかの2ゴールを喫する。

 ムードと勢いが完全に逆転してしまった状況で、味方は何とか4人全員が成功させて小川に勝利を託す。しかし、ゴール左隅を狙った一撃はGK廣末陸が必死に伸ばした右手に弾かれてしまう。

 失敗した瞬間に頭を抱え、うなだれた小川は青森山田の5人目が成功させた直後から人目をはばかることなく号泣。仲間に抱き着かなければ立っていられない姿は、見ていて痛々しいほどだった。

 夢半ばで高校サッカーを終えてから約10ヶ月。プロとして歩んできた日々の積み重ねをサッカーの神様に試されているかのように、延長戦を含めた120分間でも0‐0のまま決着がつかなかったU-19サウジアラビア代表との死闘にけりをつけるPK戦で、小川は内山篤監督から5番手を命じられる。

 しかし、いまも忘れられない「あのとき」とは状況が違う。舞台は高校サッカー選手権から19歳以下のアジア王者を決める、AFC・U-19アジア選手権の決勝へ。場所もニッパツ三ツ沢球技場から、中東バーレーンの首都マナマにあるバーレーン・ナショナルスタジアムへと変わっていた。

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