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Jリーグ 7年前

川崎F・奈良竜樹が放つ異彩。2度の負傷と五輪代表落選経て培った強靭なメンタリティー

text by 藤江直人 photo by Getty Images

リオ五輪目前の悪夢。左足腓骨の骨折

負傷により本大会出場はならなかったが、リオ五輪代表では植田、岩波らとセンターバックの座を争っていた奈良
負傷により本大会出場はならなかったが、リオ五輪代表では植田、岩波らとセンターバックの座を争っていた奈良【写真:Getty Images】

 試合は1‐1のまま終わった。九死に一生を得たのか、あるいは勝ち点2を失ったのか。選手たちがどのような思いを抱いていたのかは、奈良の言葉が何よりも端的に物語っている。

「プラスマイナスでゼロじゃないですね。マイナスですね、今日に限れば」

 昨シーズンのちょうどいまごろは、心技体のすべてが完璧なハーモニーを奏でていた。新天地フロンターレで、開幕からセンターバックに君臨。強気なラインコントロールで、チームの快進撃を支えていた。

 身体能力の高さと対人の強さは、北海道コンサドーレ札幌のルーキーだった2011シーズンから際立っていた。ロンドン五輪代表候補に「飛び級」で招集されるほど、大きな期待を浴びていた。

 2015シーズンには、高いレベルを求めてFC東京へ期限付き移籍。森重真人、丸山祐市の両日本代表の壁は厚く、J1での出場機会はゼロに終わったが、それでもフロンターレから完全移籍のオファーが届いた。

「成長している、という実感はあまりないというか、何が充実していたかということを含めて、そういうものはシーズンの最後に感じるものだと思うので。僕はその瞬間に自分がもっている最高のパワーを出すことを、ずっと積み重ねてきました。1日1日、1試合1試合を必死に戦いながらもがいています」

 目前に迫っていたリオデジャネイロ五輪へ。植田直通(鹿島アントラーズ)、岩波拓也(ヴィッセル神戸)とのレギュラー争いに割って入ろうか、というほどの急成長ぶりは、当時のコメントからも伝わってくる。

 しかし、好事魔多し、とはこのことを言うのだろう。5月14日のヴィッセル戦で悪夢に見舞われる。左足腓骨の骨折。全治まで約4ヶ月と診断されたが、奈良はリオデジャネイロ行きをあきらめなかった。

 退院した同28日に、その足で川崎市内のクラブハウスへ直行してトレーニングを再開させた。酸素カプセルや超音波治療を含めて、奇跡への可能性を追い求めてあらゆる努力を積み重ねた。

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