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Jリーグ 7年前

沖縄でプロ、東京で大学生。J3琉球MF名倉巧、18歳が挑む前代未聞の二重生活

text by 舩木渉 photo by Getty Images

「大学も通いながらプロでやりたい人の例になりたい」

 名倉の専修大学合格は、一般入試よりも早く昨年10月ごろに決まっていた。そして今年1月末の加入内定と、その取り消しに至った。

 最終的に名倉は國學院久我山高サッカー部の李済華(リ・ジェファ)総監督や清水恭孝監督と話し合い、大学に通いながらプロ選手として戦うことを決断する。そこには並々ならぬ覚悟と決意が込められていた。

「元々自分はJリーグのチームで若い時からやりたいという考えでした。プロでやれる環境があるということですぐ挑戦したい気持ちだったんですけど、大学も通わなければいけないとなって、李さんや(清水)監督と話し合いました。

今まで(大学に)通いながらプロでやった人がいないから、自分が1人目としてそれを成功させれば、これからもこういう(大学に通いながらプロとしてプレーする)ことが続くんじゃないかと思います。新しいやり方を自分がやりきって、うまく沖縄と大学に通いながら、そこでしっかり結果も残していくことで、これから大学も通いながらプロでやりたい人の例になれればいいかなと思います」

 過去に大学へ通いながらプロとしてプレーした選手はほとんどいない。元日本代表の宮本恒靖氏はガンバ大阪のユースからトップチームへ昇格した1995年に同志社大学に入学し、6年かけて卒業した。最近では現浦和レッズの遠藤航が湘南ベルマーレ時代に神奈川大学へ通っていたこともあったが、世代別代表での活動や結婚などもあって2年で中退している。

 彼らは所属クラブから比較的近い距離にある大学に通っていたが、名倉はわけが違う。毎週飛行機に乗って東京と沖縄を往復しなければならない。それでも「(4年で)卒業できればしたい」と学業への意欲は非常に強い。

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