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Jリーグ 7年前

横浜F最後の指揮官、エンゲルスの回想「『合併』の意味を当時の僕は知らなかった』【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】

シリーズ:フリューゲルスの悲劇:20年目の真実 text by 宇都宮徹壱 photo by Tetsuichi Utsunomiya, Getty Images

J開幕のタイミングで横浜Fへ「誇らしいことだった」

 滝二で指導していたのは、僕のプロフィールでは「2年間」となっているけど、実際には1年半。2年目の半年間、S級ライセンスを取得するためにドイツに戻っていた。

 その時に、フリューゲルスのスタッフに現地で出会ったんです。そう、(ヘッドコーチだった)木村文治さん。目的はドイツ人選手の獲得だったみたいで、日本語がわかる僕が週末に文治さんを試合に連れて行ったり、いろんな人に会わせたりしていた。

 車で移動している時は、ずっとサッカーの話ばかりしていたら「面白いやつだ」と思ったんだろうね。僕は日本語が話せるし、日本のサッカー事情もわかっている。たぶん、そういう理由でフリューゲルスからコーチのオファーをもらった。

 フリューゲルスとの契約は、93年の1月か2月から。滝二の指導もやりがいを感じていたから悩んだけれど、Jリーグ開幕のタイミングでこの仕事に就くことができたのは、僕にとって誇らしいことだったね。

 最初はサテライトのコーチだったんだけど、実質的には監督みたいなもので、強化部と直接やりとりしながら自分で何もかも決めることがあった。

 当時はまだバブルだったから、サテライトだけでけっこう人数がいたし、ジュビロ(磐田)との試合でも前泊することができたから、小さなJリーグみたいな感じだったね。

 僕のコーチ時代、よく監督が代わった。最初が加茂さん。文治さんとアントニオ・カルロス・シルバは(任期が)短かった。その後は、オタシリオ、チャーリー(カルロス・レシャック)。

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