「無謀」な夢物語としか聞こえていなかったJ1昇格。高木琢也監督と長崎が歩んだ5年間

2017年12月01日(Fri)11時49分配信

text by 藤原裕久 photo Getty Images
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旋風巻き起こしたJ2初年度。足りない部分を痛感した2シーズン目

 Jリーグクラブとなった長崎の戦いこうして波乱の中で幕を開けた。

 Jリーグ参入1年目の2013年、長崎は旋風を巻き起こした。

 攻守両面での徹底したハードワークを武器に、周囲の予想を裏切る快進撃で勢いを掴み、下部リーグからJ2へ初参入したチームとしては新記録となる勝点66を獲得し6位でJ1昇格プレーオフへ進出。プレーオフ準々決勝で京都サンガと引き分け、規定により敗退となったものの、誰もが予想しない活躍を見せたのだ。

 これによりシーズン前には「無謀」とされたJ1昇格という目標は、狙うべき「野望」へと変わった。だが、この「野望」を達成するには、専用練習場やクラブハウスといったクラブとして足りない部分もまだまだ多かった。

 それが露骨な結果となって出たのが翌2014シーズンである。この年の長崎は、奥埜博亮(現ベガルタ仙台)、三原雅俊(ヴィッセル神戸)、黒木聖仁(ヴァンフォーレ甲府)、イヨンジェ(現京都サンガ)といった選手を揃え、高木監督が今も「強さで言えば歴代でも一番の力を持っていたし、やりたいサッカーもできた」と評する強さを持っていた。

 だがこの最強チームは、自分たちでボールを動かしてゲームを進めながらも、思うように得点をあげられず14位に沈んでしまう。この年の9月から利用開始となった専用練習場「V・ファーレン十八銀行フィールド」がもう少し早くから使用できるようになっていれば、あるいは違う結果となったかもしれない。

 だが、この経験によりクラブとその周辺は、本当にレベルの高いチームを作るには、環境も含めたクラブのレベルアップが必要だということを実感し、それが翌年の和風クラブハウス「V・ファーレン長崎戸石クラブハウス」の整備につながっていった。

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