「無謀」な夢物語としか聞こえていなかったJ1昇格。高木琢也監督と長崎が歩んだ5年間

2017シーズンの明治安田生命J2リーグを2位で終え、J1昇格を決めたV・ファーレン長崎。ジャパネットの支援に注目が集まったが、J2屈指のチームを作り上げた高木琢也監督の功績も特筆すべきものがある。就任から5年、地元出身監督と長崎が歩んだ道程を改めて振り返りたい。(取材・文:藤原裕久【長崎】)

2017年12月01日(Fri)11時49分配信

text by 藤原裕久 photo Getty Images
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2012年末、J2昇格決定後の混沌

V・ファーレン長崎の高木琢也監督
V・ファーレン長崎の高木琢也監督【写真:Getty Images】

「それは、このチームを離れたときに思ったり、分かることなんじゃないですか」

 出身地のJリーグクラブをJ1に昇格させたことについて訊ねると、V・ファーレン長崎の高木琢也監督は少し考えてそう答えた。考えている間に浮かんだ風景が何であったかは誰にもわからない。

 試合終了のホイッスルが鳴った瞬間か、それとも昇格セレモニーの光景か、あるいはシーズンが始まる前のことか。もしかすると、もっと昔からのことだったのかもしれない。

 2012年末、長崎市で行なわれたサポーターミーティングの席上で、当時の代表取締役社長、宮田判之はサポーターからの非難を浴びていた。このときの長崎は、J2昇格直決定後に下された前任監督解任の人事が一部メディアに先漏れし、突然の報道で事実を知った選手やサポーターがクラブに状況の説明を求める事態の真っただ中である。

 経営的にも不安を感じていたサポーターにとって、前任監督の解任理由を明確に説明できず、強化方針はおろか新人事も示すことができないまま、クラブが「3年でJ1に昇格したい」と語る姿は、荒唐無稽以外の何者でもなかった。(もっとしっかりと足元を見てほしい)。

 それが、サポーターの率直な気持ちだったろう。後にクラブは「やはりJ1昇格は5年後」と発言を訂正するのだが、翌年からJ2での戦いを控える長崎にとって、具体的な方針も示せない中で発せられた「5年でのJ1昇格」は、サポーターにとって「無謀」な夢物語としか聞こえていなかった。

 2005年の創設時にはテクニカルアドバイザーを務め、その後もアドバイスを送るなど、創設以来クラブと関わってきた高木琢也が監督に就任したのはその直後のことである。

 喧噪が納まりきらぬ中行なわれた2013年1月の新体制発表記者会見で、高木監督は自ら編集したという、前年の「大分トリニータJ1昇格」と、「町田ゼルビアのJFL降格」の映像を、地元メディアやサポーターに見せてこう語った。

「昇格もあれば、降格もある。皆さんと一緒に前を向いて進んでいきたい。本当にいいものを作りたい。そのためにも県民力が必要になる。今はまだまっさらなスタジアムだが、ファン、サポーターの声一つでいろんな色に変わっていく。ピッチの中で頑張って、良いスタジアムにしていきたい」

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