「無謀」な夢物語としか聞こえていなかったJ1昇格。高木琢也監督と長崎が歩んだ5年間

2017年12月01日(Fri)11時49分配信

text by 藤原裕久 photo Getty Images
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「野望」や「失望」を経て、J1昇格という「希望」へ

選手たちから胴上げされる高木監督
選手たちから胴上げされる高木監督【写真:Getty Images】

 出身地のクラブをJ1に昇格させた感想を問われ、「それはチームを離れたときにわかること」と答えた冒頭の言葉のあと、高木監督は一呼吸置いてそう言葉を続けた。

 確かにプロとして気持ちはそうだろう。監督としてチームを預かる身とすれば、なおさら出自にとらわれるようなことがあってはならない。だが、クラブに対する思い入れは別だったのではないか。

 J2第41節のホーム讃岐戦、ベンチにはメンバー入りできなかった全選手のユニフォームが飾られ、ロッカーでは歴代のユニフォームとして、クラブの前身である「有明SC」のユニフォームが並べられていた。

 クラブ創設の頃、監督自らオフの日に長崎までサッカー教室へ来たこともある、地域リーグの公式戦でベンチ入りするために、台風が接近する中にもかかわらず九州までやってきたこともある。そういった記憶や、今はクラブにいなくなった信頼し、共に戦ってきたスタッフや選手への気持ちは、どこかに持っていたはずだ。

 高木監督はそれを容易に表に出すような人ではない。だが、言葉の最後にこう呟いた。

「正直に言うと……ホッとした感じはありますよ、責任は果たせたかなと(笑)。やっぱり、そこは他とは比べられない部分があるのかもしれません。でも……長崎で監督をやっている間は、本当のところは分からないと思いますよ」

 それが分かるのは、いつになるのかは誰にもわからない。Jリーグ参入直前に「5年でJ1」とクラブが発信した「無謀」な目標から5年。「野望」や「失望」を経て、長崎はJ1昇格という「希望」へと辿りついた。

 そして今、「希望」の先へと向かおうとしている。先に待つものが何であろうと、それもまたクラブの歴史であり、関わった全ての人に残る記憶だ。そして、それこそがクラブと人を結びつける大切なもの「絆」となるのだろう。

(取材・文:藤原裕久【長崎】)

【了】

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