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Jリーグ 6年前

佐藤寿人が名古屋で求めた喜び。5クラブを渡り歩いたベテランFWの献身【谷間の世代と呼ばれて】

シリーズ:「谷間の世代」と呼ばれて text by 元川悦子 photo by Getty Images

苦しかったプロ3~4年目。プレーの幅を広げる必要性

 明るくひたむきで清々しいキャラクターは10代の頃から変わらない。2012~2016年にかけて日本プロサッカー選手会(JPFA)会長を務めたことからも分かる通り、佐藤寿人の人望の厚さは誰もが認めるところだ。だからこそ、日本サッカー界で長く輝き続けていられるわけだが、本人は「そこまで順調な人生でもなかったですよ」と苦笑いする。

「『谷間の世代』と言われた僕らの世代はプロになってから順調に行った選手が少ないのかなと思います。みんなさまざまな成長曲線を描いていたから、全員の力が結集して爆発することがなかった。もし絶頂期が一致していたらもっと面白かったし、伸二(小野=札幌)さんたち2つ上の黄金世代にも負けない結果を出せていたのかもしれないですね。

 僕自身も10代から2001年ワールドユース(アルゼンチン)くらいまでは順調だったけど、そこから2004年アテネ五輪くらいまでが難しい時期だった。ちょうどプロ3~4年目はセレッソ、仙台で苦労していたし、自分はアテネにも行っていないですからね。

 苦しい日々の中で考えていたのが『自分の武器を作らないといけない』ということ。裏に抜けるというユース時代からの特徴だけでは生き残っていけない。もっとプレーの幅を広げる必要があるなと感じて、いろんなFWの動きを勉強しました。

 ヤナギ(柳沢敦=鹿島コーチ)さん、タカ(高原直泰=沖縄SV)さんからは学ぶことが多かったですし、播戸(竜二=大宮)さん、大黒(将志=京都)さんからは特に大きな刺激を受けた。2人はゴールから逆算したプレーをしていましたからね。

 特にバンさんは98年アジアユースの決勝・韓国戦に象徴される通り、泥臭いゴールを決める人。そこは自分の琴線に触れるところがありました」と彼はもがいた20代前半の頃を振り返る。

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