開催時期、大会名も一貫せず。テスト的な要素が強く
大会の時期が一定していないことも一因だ。過去2大会は2013年と15年の夏にソウルと武漢で開催された。日本が前回主催した大会は2010年2月、厳しい寒さの中での開催だった。
大会名すらも頻繁に変更されてきた。2003年から10年までは東アジアサッカー選手権として知られ、その後2013年と15年には東アジアカップと呼ばれた。こういった条件も災いし、ただでさえ過密な国際試合のカレンダーの中で、この大会が確かな存在意義を確立させるのは容易ではない。
Jリーグの長丁場のシーズンの終了後に開催されることを考えれば、今年の大会への熱意が感じられないのも決して驚くべきことではない。
もちろん、必ずしもエキサイティングなサッカーが展開されるわけではなくとも、監督たちにとっては新たな何かを試すことができるという点で歓迎すべき大会だ。これまで重用されていなかったような選手たちに実戦でのプレー機会を与えられるだけでなく、例えば普段なら練習でしかできないようなポジション変更やフォーメーション変更もテストすることができる。
オリンピック・リヨンの熊谷紗希を欠いたなでしこの初戦で左SBの鮫島彩をCBに起用した高倉監督は、選手たちには複数のポジションをこなせるようになってほしいと主張していた。
ハリルホジッチ監督もまた、粘り強く危険な北朝鮮に薄氷の勝利を収めた土曜夜の試合のあと、収穫の面を強調しようとしていた。特に中村航輔を名指しで称賛していたのは当然のことだろう。代表初先発となった22歳の守護神はゴール前で見事なパフォーマンスを披露していた。
柏レイソルのチームメートであり同じく代表デビュー戦だった伊東純也も、交代出場で積極的な好プレーを見せたとして褒められていた。
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