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日本代表 6年前

岡崎慎司が立ち返るべき原点。中村俊輔と松井大輔の記憶、W杯で成功の鍵は「鈍感力」

text by 元川悦子 photo by Getty Images

南アフリカで対照的だった2人の記憶

 ご存じの通り、中村俊輔は岡田武史監督(現FC今治代表)率いる日本のエースとして長く君臨した。2009年までの代表は「俊輔ジャパン」と言っても過言ではないほど、彼への依存度が高かった。ところが、中村は同年夏に移籍したスペイン1部・エスパニョールで出場機会を失い、コンディション面が危惧されるようになった。

 そこで本人は2010年3月に古巣の横浜F・マリノス復帰を決断。実はその時点で左足首を痛めていたのだが、試合勘を取り戻すため、あえてJリーグで強硬出場を続けた。

 迎えた南アフリカワールドカップの直前合宿。彼は左足の問題に加えて、コンディション面の不調にも見舞われる。5月末からのスイス・サースフェーでの高地トレーニングでは心肺機能のチェックが連日行われたのだが、数値がなかなか上がらない中村は、他選手と別に極秘練習を重ねていた。もちろん生活面や体のケアなどあらゆるものを緻密に管理していた。その繊細さが結果的に仇となり、彼はキャリア最後のワールドカップでスタメンの座を失った。

 その中村と対照的にグングンと調子を上げたのが松井だった。南アフリカワールドカップの直前合宿がスタートした同年5月中旬の段階では筋肉系の負傷で別メニュー調整を強いられていた。壮行試合・韓国戦(埼玉)も出番なしで、その後のイングランド戦(グラーツ)は後半26分から出場。コートジボワール戦(シオン)戦も主力同士の試合が終わった3本目に出ただけ。「出遅れが響いて岡田監督の構想外になっているのではないか」という見方をされたほどだった。

 しかしながら、野性児タイプの松井は自身の苦境を一切気にせず、「初戦のカメルーン戦(ブルームフォンテーヌ)に100%に持っていければそれでいい」と割り切っていた。サースフェー合宿中には、選手が自由参加でアルプスの山に観光に出かける日があったのだが、もちろん松井は同行。皮肉にも中村はその時間帯に極秘練習をしていた。

「もともと自分や嘉人(大久保=川崎F)は何も考えないタイプ。ピッチに立ったら『野に放たれた犬』みたいに無心で走れる」と本人も冗談交じりで語っていたが、その「鈍感力」がプラスに働いたのは間違いない。

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