合併を知った実家からの電話。「オレも無職になるの?」不安に駆られた元横浜Fのホペイロ【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】

2018年07月21日(土)10時00分配信

シリーズ:フリューゲルスの悲劇:20年目の真実
text by 宇都宮徹壱 photo Getty Images,Tetsuichi Utsunomiya
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フリーターからフリューゲルスのホペイロへ

 Jリーグが開幕した93年は、小田原の高校に通う1年生でした。いちおう小中高とサッカーを続けていましたけれど、県予選ですぐに負けるような弱小校でしたね(苦笑)。自分が将来、サッカーの仕事をすることなんか、当時はまったく想像できませんでした。高校卒業後、2年くらいは箱根にある甘酒茶屋というところでバイトしていたんです。要するにフリーターですね。

 そこは江戸時代から続く由緒あるお店で、僕はバイトと言いながらもいろいろ任されていたので、やりがいは感じていました。そこで20歳くらいまでやっていたのかな。

 フリューゲルスとの出会いですか? 麻生くんという高校の同級生がいるんですけど、彼がすでにフリューゲルスの用具係として働いていたんですね。彼は最初、アルバイト雑誌の求人を見つけて応募したら採用されたらしいです。

 そこで2年やっている間に、フリューゲルスの監督だった加茂(周)さんが日本代表監督になったので、クラブに在籍しながら代表でも用具係の仕事をしていたそうです。彼の話を聞いて「すごいなあ」とは思ったんですけど、そしたら麻生くんがこう言ったんです。「これから最終予選も始まるので、今後は代表チームに専念する。フリューゲルスの枠が空くから、面接を受けてみない?」って。

 あの当時、「ホペイロ」という名前自体、まだまだ業界でも知られていなかったと思います。日本での先駆者は、ヴェルディ川崎にいたルイス・ベゼーハ・ダ・シルバさんでしょうね。カズ(三浦知良)さんがブラジルから呼んで、その人が日本でのホペイロの先駆者になりました。

 そのベゼーハさんから技術を学んだのが松浦(紀典)さん。松浦さんはヴェルディから名古屋(グランパス)に移って、その時に(本田)圭佑や(吉田)麻也のスパイクを担当していたんですよ。他にも(清水)エスパルスの中山(喜仁)さんとか、FC東京も山川(幸則)くんとか、今では有名なホペイロが増えましたよね。

 ただホペイロの仕事って、松浦さんのように師匠がいたり、山川くんのようにスペインのオビエドで修行したり、そうやって学んできた人がほとんどですよね。それに比べて、僕も麻生くんも高卒で右も左もわからないところからのスタートでした。僕がフリューゲルスに採用されたのは、正式には97年の2月。

 ただ、前の年の天皇杯から現場に顔を出させてもらって、そこで麻生くんから引き継いだという感じでしたね。麻生くんは代表のスタッフとして、ジョホールバルにも行きました。あとを受け継いだ僕は、自分で勉強したり、松浦さんにお話を伺ったりしながら、何とか仕事を覚えていきましたね。

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