松田直樹が捨てたフラット3の理想。日韓W杯ベスト16につながった隠れたファインプレーとは?【日本代表平成の激闘史(8)】

時代は平成から令和へと代わり、その間、ワールドカップに6回連続出場を果たすなど、サッカー日本代表は大きな躍進を遂げた。時代は変われども、後世へと語り継ぎたい日本代表名勝負を振り返る本企画。今回は平成14(2002)年6月に行われた、日韓ワールドカップでの日本代表の戦いを回顧する。(文:元川悦子)

2019年05月21日(Tue)10時00分配信

シリーズ:日本代表平成の激闘史
text by 元川悦子 photo Getty Images
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トルシエ不在のメンバー発表

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4試合すべてにフル出場した松田直樹【写真:Getty Images】

 平成10(1998)年のフランスワールドカップ3戦全敗の後、フィリップ・トルシエ監督体制で翌年のワールドユース準優勝、シドニー五輪8強、アジアカップ制覇、コンフェデレーションズカップ準優勝と、着実に実績を積み重ねてきた日本代表。

 平成14(2002)年のワールドカップイヤーに入ってからも、敵地でポーランドに圧勝するなど、「勝てる」という雰囲気は日に日に高まっていた。本大会直前のレアル・マドリー、ノルウェーとの欧州2連戦は惨敗したものの、4年間をかけて築いてきたチームには、確かな土台があった。そこはトルシエ体制4年間の特筆すべき点と言える。

 メンバー選考は最後の最後まで困難を極めた。5月17日に東京プリンスホテルで行われた発表会見にトルシエは不在。木之本興三団長が1人で出席し、1人1人の名前を読み上げる奇妙な形式だった。

 そこで出てきたのは秋田豊、中山雅史という意外なベテランの名前。逆に呼ばれなかったのは、名波浩と高原直泰、そして中村俊輔だった。名波はヒザのケガ、高原は静脈血栓塞栓という病のせいだとハッキリしていたが、中村の場合はトルシエとの確執、小野伸二の左サイド起用にメドが立ったことなど複数の落選要因が考えられた。

 数時間後に横浜F・マリノスの練習場で開かれた会見で本人は「目標をなくした喪失感? 今はないけど、大会が始まったら思うだろうね。僕は第三者的にサッカーを見られないタイプだから」と気丈にコメントしていたが、落胆は明らか。中村外しは日本中を驚かせた。

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