闘莉王が説いた「弱者の戦い方」。南アW杯が繋いだ日本サッカーの未来【日本代表平成の激闘史(10)】

2019年05月25日(Sat)10時00分配信

シリーズ:日本代表平成の激闘史
text by 元川悦子 photo Getty Images
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ターニングポイントとなった日韓戦

 しかし、この段階ではまだ中村俊輔や中澤佑二、遠藤保仁ら年長者への依存度が高く、最終予選も彼らを抜きには語れなかった。

 本大会切符を手にした平成21(2009)年6月のウズベキスタン戦も、決勝点を挙げたのは岡崎だが、荒れた試合をコントロールしたのは中村や遠藤。内田は体調不良で欠場、本田は途中出場、香川はベンチ外という状況で、まだまだベテランと若手には実力差が感じられた。

 けれども、ワールドカップイヤーに入ると状況は大きく変化する。本田がCSKAモスクワへ移籍し、UEFAチャンピオンズリーグ(UCL)セビージャ戦で豪快なFK弾を挙げるなど、一気にスターダムにのし上がったのだ。

 それとは対照的に、中村が平成21(2009)年夏に移籍したスペイン・エスパニョールで出番を失い、Jリーグに復帰する。そこから中村は試合に出続けたが、ケガを抱えながらのプレーで思うように状態が上がらなかった。そこに代表の不振が重なり、岡田監督は大きな決断を迫られることになる。

 最大のターニングポイントとなったのが、5月の壮行試合・韓国戦だ。GK楢崎正剛、DFに中澤と阿部勇樹、ボランチの遠藤と長谷部誠、攻撃的MFに中村といった主力級をズラリと並べながら、朴智星擁する韓国に0-2で完敗。中村も「今まで積み上げてきたものが消えてきている」と落胆を露わにし、指揮官が進退伺を出す事態に発展したのである。

 直後に赴いた事前キャンプ地のスイス・ゼーフェルトでのミーティング。田中マルクス闘莉王が「俺たちは弱い。弱者の戦い方が必要だ」と口火を切ったことで、選手たちは守備的サッカーへのシフトを決意。岡田監督も腹を括り、4-2-3-1からアンカーを置いた4-3-3への布陣変更に踏み切った。

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