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Jリーグ 4年前

横浜FC・中村俊輔がYouTubeで模索するボランチ像。「このまま終わりたくない」、葛藤の末に拓いた新境地【この男、Jリーグにあり】

横浜FCは24日、明治安田生命J2リーグ最終節で愛媛FCに勝利し、13年ぶりのJ1昇格を決めた。ジュビロ磐田で出場機会を得られなかった中村俊輔は、今夏加入した新天地でボランチという新たなポジションを与えられた。危機感と葛藤を抱えながら戦った稀代のレフティーの不断の努力は、J1昇格という形で結実した。(取材・文:藤江直人)

シリーズ:この男、Jリーグにあり text by 藤江直人 photo by Getty Images

中村俊輔の新たな役割

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横浜FCの中村俊輔【写真:Getty Images】

 動画投稿サイト『YouTube』を食い入るように見ていると、中村俊輔はちょっぴり照れくさそうに打ち明ける。サイトを閲覧する頻度が飛躍的に増したのは、今年の夏以降だった。

「ボランチの選手たちばかりを見ているよ。大島君が一番いいよね。アジリティーがあって、技術もあって。この間(のベネズエラ代表戦)も出てほしかったよね」

 大島君とは先のベネズエラ代表とのキリンチャレンジカップ2019で代表復帰を果たしながら、出場機会を得られなかった川崎フロンターレの大島僚太のこと。トップ下として一時代を築いたレジェンドは、なぜ41歳になって大島を含めたボランチの映像を夢中でチェックしはじめたのか。

 答えは今夏に完全移籍で加入したJ2の横浜FCで、下平隆宏監督から告げられた方針にあった。5月からタクトを振るった横浜FCの軌跡を右肩上がりに転じさせ、J1への昇格争いに加わらせようとしていた47歳の指揮官は、トップ下ではなくボランチで起用する構想を俊輔に説明した。

 新天地でデビューした7月31日のレノファ山口戦。渡邊一仁との交代で60分から投入され、初体験のJ2の舞台でボランチとしてプレー。クラブタイ記録となる6連勝をマークした瞬間を、ホームのニッパツ三ツ沢球技場のピッチ上で共有した直後に、俊輔はこんな言葉を残している。

「連勝中のできあがっているチームに、途中から入ったわけだからね。急に移籍してきた一人の選手が自分の色に染めることが許されるのは、強烈なストライカーだけ。中盤の選手で、こんなおっさんが途中から来た以上は、自分がこのチームの色に染まるにはどうしたらいいかを考えないと」

新たなポジションへの挑戦と葛藤

 言葉の端々から、試行錯誤の跡が伝わってくる。果たして、下平監督が思い描くボランチには独自の約束事が課されていた。たとえばトップ下で俊輔が得意としてきた、視野の広さとキックの正確性を生かした大胆なサイドチェンジは、横浜FCで求められたプレーではなかった。

「パッとパスをもらってサイドチェンジすることが、ここではいいプレーではなかったりする。自分の色を出そうとすると『それ、やりすぎだよ』となる。もちろんシモさん(下平監督)はダメと言わないし、僕のやり方でいいとも言ってくれるけど、すごく難しいですよね」

 マイボールになったときに一人が最終ラインに下がって縦関係になり、短いパスを前後左右に、例えるなら各駅停車のように繋ぐプレーが横浜FCのボランチには求められた。スピード豊かな左右の両サイドハーフ、22歳の松尾佑介と23歳の中山克広を縦へ走らせるタイミングをうかがうためだ。

 頭では理解することができた。しかし、ポジションをボランチにひとつ下げても、中盤でゲームを作る感覚も骨の髄にまで染みついている。俊輔が抱き続けてきた矜恃と言ってもいい。

「いろいろな葛藤があって、シモさんが考えるサッカーに染まるのに多少時間がかかっちゃった」

 なかなか試合に絡めなかった横浜FCでの日々をこう振り返る俊輔は、9月22日のFC町田ゼルビア戦から5試合連続で出場機会を得られていない。しかも10月15日のツエーゲン金沢戦、同19日の京都サンガ戦はベンチ外だった。このとき、ネガティブな思いが頭をもたげてきたという。

「ジュビロで試合に出られなくなって、オレはこんなものじゃない、このまま終わりたくないという葛藤があって。それでカテゴリーをJ2に下げてでも試合に出たいと思ったら、実際にカテゴリーを下げても出られない。しかも、ベンチ外。もうJ3か引退しかない、という危機感というか恐怖があった」

指揮官が求めるプレーと自身の感覚

 ジュビロとの契約を延長して臨んだ今季はリーグ戦で2試合、わずか65分間プレーしただけで、4月以降はピッチから姿を消した。それでも、ホームのヤマハスタジアム磐田での試合を見届けると磐田市内のヤマハ大久保グラウンドへ向かい、いつ訪れるか分からない出番に備えて汗を流した。

「ああいうのがこうして、いま現在に繋がっている。ちょっとでもモチベーションを落としたら絶対にダメ。ずっと張り詰めさせていれば、いつになるのかはわからないけど、必ずどこかで引っかかる。まだまだあきらめずに、粘って、もがいて、オレの場合はカテゴリーを下げたわけだけど」

 ジュビロで絶対にふて腐れなかった日々は、横浜FCでも変わらずに継続された。そして、横浜・保土ケ谷区内にあるLEOCトレーニングセンターでボールを追いながら、新たな自分と邂逅する。

「ベンチ外になって吹っ切れたところもあるのかな。シモさんが求めるプレーをしていた自分と、もともとあったトップ下の感覚というものを織り交ぜたら、だんだん自分がフィットしてきた。ベンチ外が続いていたのに『これ、できるわ』っていう感覚になったのは、長くプレーしてきたなかでも本当に面白いことだと思った」

指揮官のメッセージが込められた決断

 同時にサンガ戦で0-3と完敗し、19試合ぶりとなる黒星を喫した横浜FCも試練を迎えていた。残りはわずか5試合。昇格を争うライバル勢がスパートをかけてくる終盤戦で、悪い流れを引きずるわけにはいかない。快進撃を支えてきた主軸選手たちを、下平監督はリザーブへ回す決断を下す。

 ホームに東京ヴェルディを迎えた10月27日の第38節。1トップはチーム得点王イバから元日本代表の皆川佑介に、松井大輔と田代真一が組んでいたボランチは佐藤謙介と俊輔にスイッチ。続くV・ファーレン長崎戦からは、トップ下もレアンドロ・ドミンゲスから齋藤功佑へと代わった。

 30歳の佐藤もまた、サンガ戦を含めて3試合連続でベンチ外だった。俊輔と同じ時期にサンフレッチェ広島から加入した皆川は、新天地でノーゴールが続いていた。ジュニアユースから横浜FCで心技体を磨いてきた22歳の齋藤も、ベンチ外だった試合がリーグ戦の半数を大きく超えていた。

「今まで引っ張ってきた真ん中の4人がごっそりいなくなって、自分たちがピッチ上にいるということにいろいろなメッセージが込められていた。守備で身体を張らなきゃいけないとか、献身的に走らなきゃいけないとか。真ん中の4人を代える選択は他のクラブではなかなかないよね。

 でも、ミナ(皆川)とコウスケ(齋藤)の調子も上がっていた。ケンスケ(佐藤)やオレを含めて、リザーブの選手やベンチ外の選手を監督やコーチングスタッフが常に見ながら、ああでもない、こうでもないと言っているんだろうな、と。指導者は大変だと思うし、こういう実体験があると、いつか自分が指導者になったときに、そういう選手のことは陰ながら見ていきたいと思うよね」

 サンガに負けたタイミングが重なり、トンネルを抜け出した手応えをつかんだ直後の先発復帰に、俊輔は新鮮な驚きと喜びとを覚えている。果たして、ヴェルディ戦の26分にペナルティーエリアの外、約20メートルの距離から強烈な移籍後初ゴールを突き刺した。

 佐藤が右タッチライン際にいた、DF北爪健吾に正確なロングパスを通す。北爪のパスを皆川が相手選手を背負いながら落としたところへ、あうんの呼吸で走り込んできた俊輔が黄金の左足を一閃した。長崎戦の42分には齋藤が先制ゴールをあげるなど、下平監督の選手起用が鮮やかに奏功した。

「一度でもミスをしたら…」。昇格を上回るプレッシャー

 新たな布陣のもとで4連勝をマーク。J1へ自動昇格できる2位の座を、勝てば無条件で確定させられる状況で迎えた24日の愛媛FCとの最終節。ともに無得点で迎えた32分に試合が動く。俊輔が右コーナーキックを蹴った直後に、中村太主審のホイッスルが鳴り響いた。

 ペナルティーエリア内で皆川が倒されたとして、横浜FCにPKが与えられた。ボールを拾い上げた俊輔は次の瞬間、皆川に大役を託した。試合後の取材エリアで自らが蹴らなかった理由を問われた俊輔は、当然という表情を浮かべながら「ミナはノーゴールだったでしょう」と続けた。

「オレとケンスケの守備がすごく上手いわけじゃないなかで、ミナとコウスケがあそこまで追ってくれるから、フィルターがかかって後ろまでこない。得点以上の貢献というか、得点以上のものをチームにもたらし続けてくれたミナには、PKを蹴る権利がある。だから、普通にボールを渡しました」

 皆川がしっかりとPKを決めて先制し、52分には齋藤が追加点をゲット。守っては愛媛を零封し、87分からはFW三浦知良が4月7日のアビスパ福岡戦以来、実に230日ぶりにリーグ戦のピッチに立ち、Jリーグの最年長出場記録を52歳8ヶ月29日に更新した直後に勝利の瞬間が訪れた。

 5連勝フィニッシュとともに手繰り寄せた、13年ぶりとなるJ1昇格。2位を激しく争いながら、最後の3戦をすべてドローで終えて脱落した大宮アルディージャとは対照的な戦いぶりだったが、プレッシャーは存在したと、5連勝を縁の下で支えた俊輔は打ち明ける。

「今日というよりも、毎試合のように感じていた。一度でもミスをしたら、ボランチはいっぱいいるからね。松井や田代もいるし、ナベ(渡邊)もいるし、コウスケも後ろに下がってプレーできる。J1へ上がる、というのを上回るプレッシャーがあった。ヴェルディ戦なんて本当に一発勝負という感じだったし、あれでコケていたら元に戻っちゃうと思っていたから」

 対戦相手よりもチームメイトの存在にプレッシャーを感じた最後の5試合を含めて、自らの意思で選んだJ2での戦いは10試合、649分間のプレーで幕を閉じた。横浜FCの目標成就には少なからず貢献した自負があるが、個人的な満足度を問われると「納得はしていない」と前を向く。

「このチームではボランチでプレーするのがベストだと割り切ってプレーしてきたなかで、自分が考える戦術だけがベストじゃない、とわかった部分でも勉強になった。ただ、J1に上がればパスを繋いでいるうちに、もっともっと前に絡んでいかなきゃいけない」

「監督はいつからでもできる。できるだけ長くやれれば…」

 来季の続投が決まった下平監督から求められるボランチ像に、思い描く理想像をも融合させていく。動画投稿サイト『YouTube』で何度も見た大島のパフォーマンスに現時点ではなく、ごく近い未来の自分自身を重ね合わせていたのだろう。J1のレベルを肌で知るからこそ、さらなる高みを目指す。

「強化部がどのような選手を取って、どのようなサッカーをしたいのか、というのがあるから。若くてすごくいい選手が来て、新外国人選手とかも来たら、オレだってボランチで出られなくなるかもしれないし、そもそもオレ、半年契約で(もうすぐ契約が)切れるから。ただ、横浜FC自体がこうやってシモさんのスタイルで上がったのだから、それをやり続ければいいと思う」

 夏場以降で図らずも波乱万丈に富んだ、俊輔の23年目のプロ人生は大団円で幕を閉じた。ジュビロ時代から何度も苦しめられ、昨年6月には勇気を振り絞ってメスも入れた右足首のケアを入念に施しながら、稀代のレフティーはシーズン中の6月に42歳になる来季を見つめる。

「誰に言われたのかは忘れたけど、監督はいつからでもできるじゃないですか。いつからでも、という言い方はちょっとあれだけど、もしかしたら(自分は)サッカーを長くやる人なのかな、と思って。足首がもって、できるだけ長くやれれば、うん、面白いことが」

 昨季から幾度となく脳裏に浮かんだ引退の二文字や、その先に描かれている指導者としての第2の人生は、J2での濃密な日々を介して先送りになった。しばしの充電期間に入る俊輔の表情は、寝ても覚めても上手くなる自分のことばかりを考えている、永遠のサッカー小僧のそれに戻っていた。

(取材・文:藤江直人)

【了】

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