スペイン代表、ストライカーの系譜。一時代を築きJリーグに引き寄せられた歴代エースたち

スペイン代表で活躍したストライカーたちには、Jリーグに縁がある選手が多い。バルセロナやレアル・マドリードなどのビッグクラブで実績を積み重ねて母国代表のエースになり、ワールドカップにも出場し、そこで優勝経験を持つ選手も日本にやってきた。他にもレジェンド級の選手が歴史に名を刻んできた。今回はそんなスペイン代表でエースストライカーを務めてきた選手たちの系譜をワールドカップでの戦いぶりとともに振り返る。

2020年06月09日(Tue)9時00分配信

シリーズ:編集部フォーカス
text by 編集部 photo Getty Images
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メキシコW杯(1986)〜アメリカW杯(1994)

フリオ・サリナス エミリオ・ブトラゲーニョ
【写真:Getty Images】

エミリオ・ブトラゲーニョ
生年月日:1963年7月22日
個人成績(1986):5試合出場/5得点0アシスト
個人成績(1990):4試合出場/0得点0アシスト


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 レアル・マドリードのリーグ5連覇など黄金期をけん引した、1980年代後半を代表するストライカーだ。リーグ戦10得点で初めて優勝を味わったシーズンの直後に、スペイン代表として1986年のメキシコワールドカップ出場を果たす。

 そして決勝トーナメント1回戦のデンマーク代表戦では1試合4得点の離れ業をやってのけた。レアルでトップチームデビュー2年目の若手ながら、すでに世界的な名手としての評価を確立。ワールドカップイヤーの1986年はバロンドール投票で3位につけた。

 2度目の出場となった1990年のイタリアワールドカップでは無得点に終わったが、続く1990/91シーズンはレアルのエースとして自己最多19得点を挙げてラ・リーガ得点王に輝いた。当時のスペイン代表は2010年代ほどの強豪チームではなく、ワールドカップでチームとして目立った結果を残せたわけではない。

 それでもレアルでのリーグ優勝6回、コパ・デル・レイ制覇2回など数々のタイトルを獲得した功績は色あせず、今でもレジェンドとして語り継がれる存在だ。1995年にラウール・ゴンザレスにポジションを奪われてメキシコへ移籍し、1998年に現役引退後は古巣レアルの幹部としてクラブの発展に貢献している。

フリオ・サリナス
生年月日:1962年9月11日
個人成績(1986):5試合出場/1得点0アシスト
個人成績(1990):3試合出場/1得点1アシスト
個人成績(1994):4試合出場/1得点0アシスト

 スペイン代表デビューからわずか3試合で、初めてのワールドカップ出場を果たした。それが1986年のメキシコ大会だった。そしてグループリーグ第2戦の北アイルランド代表戦でゴールを挙げている。

 このワールドカップ後にアトレティコ・マドリーへ移籍し、2シーズンに渡ってエースとして活躍。1988年夏にバルセロナへ移り、ヨハン・クライフ監督率いるドリームチームの一員として1994年までプレーした。

 バルセロナで全盛期を謳歌する中、1990年のイタリアワールドカップに出場して1得点。ドリームチームでの最後のシーズンを終えた1994年夏のアメリカ大会にも参戦し、3大会連続でワールドカップのピッチに立った。

 アメリカワールドカップの準々決勝イタリア代表戦では、1-1で迎えた終盤にサリナスが大きな決定機を外してしまい、直後にスペイン代表は失点。このロベルト・バッジョのゴールによって敗退となってしまった。

 30代になってバルセロナを退団した後も、デポルティボ・ラ・コルーニャやスポルティング・ヒホンでコンスタントにゴールを決め続けていた。控え選手として出場したEURO1996がスペイン代表としての最後の国際大会だった。

 1997年からは横浜マリノス(現横浜F・マリノス)でもプレーし、1年目からリーグ戦21得点と期待に違わぬ活躍を披露。在籍2シーズンで34得点を挙げた。1999年1月にスペインへ戻り、アラベスで1年半プレーして現役を引退した。

●1990年イタリアW杯ラウンド16・ユーゴスラビア戦の先発メンバー

▽GK
アンドニ・スビサレッタ

▽DF
チェンド
マノロ・サンチス
ジェナル・アンドリヌア
アルベルト・ゴリス

▽MF
ミチェル
ロベルト・フェルナンデス
ラファエル・マルティン・バスケス
フランシスコ・ビリャローヤ

▽FW
エミリオ・ブトラゲーニョ
フリオ・サリナス

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