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日本代表 2年前

サッカー日本代表、ワールドカップ背番号の系譜【6~10番】世界を相手に戦った偉大な男たち

シリーズ:日本代表、背番号の系譜 text by 編集部 photo by Getty Images

背番号9


【写真:Getty Images】


フランスW杯:中山雅史(ジュビロ磐田)
生年月日:1967年9月23日(30歳)
個人成績:3試合1得点0アシスト
戦績:グループステージ敗退

日韓W杯:西澤明訓(セレッソ大阪)
生年月日:1976年6月18日(25歳)
個人成績:1試合0得点0アシスト
戦績:ベスト16

ドイツW杯:高原直泰(ハンブルガーSV)
生年月日:1979年6月4日(27歳)
個人成績:3試合0得点0アシスト
戦績:グループステージ敗退

南アフリカW杯:岡崎慎司(清水エスパルス)
生年月日:1986年4月16日(24歳)
個人成績:4試合1得点0アシスト
戦績:ベスト16

ブラジルW杯:岡崎慎司(マインツ)
生年月日:1986年4月16日(28歳)
個人成績:3試合1得点0アシスト
戦績:グループステージ敗退

ロシアW杯:岡崎慎司(レスター)
生年月日:1986年4月16日(32歳)
個人成績:3試合0得点0アシスト
戦績:ベスト16

 日本の初出場となったフランスW杯で、エースナンバーの背番号9を背負ったのは中山雅史だ。同大会で日本はグループステージ全敗となったが、中山は第3節のジャマイカ代表戦でこの大会で日本唯一となるゴールをマーク。右足腓骨を骨折の痛みに堪えながら、大舞台で爪痕を残した。

 中山は同大会後に発足したトルシエジャパンでも9番を背負っていたが、日韓W杯では高原直泰と中村俊輔がまさかの落選。そのため、中村に代わって中山が10番を背負い、西澤明訓が9番を受け継いで本大会に臨んだ。しかし、グループステージでは出番が回ってこず。ラウンド16のトルコ代表戦でフル出場を果たすも、得点を決めることが出来ず日本はベスト16で敗退となった。

 その後、背番号9は大久保嘉人や久保竜彦など様々な選手が着用したが、ドイツW杯で同背番号を背負ったのは高原だ。同選手はジーコジャパンのエースとして本大会に臨んだが、初戦と第2戦を無得点で終えると、ブラジル代表戦ではベンチスタートに。2点ビハインドで迎えた60分に途中出場したが、ゴールに絡むプレーをみせられず、4年越しに立った大舞台で結果を残すことが出来なかった。

 そして、同大会後に岡崎慎司が背番号9を継承した。2008年の北京五輪に出場したこのFWは、同大会後に日本代表デビュー。2009年6月のウズベキスタン代表戦で先制点をマークし、日本を4大会連続のW杯出場に導いた。しかし、本大会直前のテストマッチで日本代表は4連敗。これにより岡田武史監督が戦術変更を決断したため、1トップには本田圭佑が起用された。だが、岡崎は出番が限られる中、途中出場したデンマーク代表戦で試合を決める3点目をマークしている。

 ザックジャパンでも同様の背番号を与えられた岡崎は、右サイドハーフで定着。2011年のアジアカップではサウジアラビア代表戦でハットトリックを決めるなど、この体制下でチーム最多となる21ゴールを挙げてワールドカップ本大会のメンバーに選出された。本大会では第3節のコンビア代表戦で前半終了間際に同点弾。決勝トーナメント進出へ望みを繋いだが、結果的に1-4で敗戦し、日本はグループステージで姿を消した。

 4年後のロシアW杯でも岡崎は9番を付けたが、同大会では大迫勇也の控えに。出場時間が限られたため結果を残せなかったが、岡崎はW杯3大会連続出場、さらに日本代表歴代3位の50得点という記録を打ち立てた。

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