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Jリーグ 6か月前

「それまでの何かを捨てなきゃいけない」。横浜F・マリノスのため、飯倉大樹が「次の世代へ伝えていく」【コラム】

シリーズ:コラム text by 藤江直人 photo by Getty Images

「普通はありえないけど…」「大中小合わせて10回は喧嘩していました」

 松永さんもルーキーイヤーから猛練習でポジションを不動のものにした。その象徴が居残り練習。フリーキックの名手で、日本代表でも数多くの伝説を築いた木村和司さんの相手を、連日200本から300本も務めた。ジュースをかけ、負けて自動販売機で木村さんに買うたびに、上手くなってやると決意を新たにした。

 同時に一本気な性格の持ち主でもあった。ちょうど30年前、1995シーズンのサントリーシリーズ途中に、松永さんはマリノスを退団している。後に日本代表の守護神を拝命する、加入2年目の川口能活をレギュラーに抜擢した当時のホルヘ・ソラリ監督ら首脳陣の方針に異を唱えた末の決断だった。

 飯倉自身も、自らの性格を「まっすぐ」と表現し、ゆえに何度も喧嘩したと懐かしがった。

「俺も引かないところがあるし、シゲさんも本当にまっすぐだし、もうしょっちゅうしていました。コーチと喧嘩するなんて普通はありえないけど、大中小合わせて10回は喧嘩していました。最近は納得できないことがあると俺が顔に出しちゃうみたいで、シゲさんが気を遣ってくれてあまりなかったけど」

 ともにマリノスに強い思いを注ぎ、本音でぶつかり合ってきた。ともに松永さんの指導を受けたライバルで、松永さんの後任としてアシスタントコーチから昇格した、榎本哲也ゴールキーパーコーチを含めて揺るぎない信頼関係を築いた。だからこそ、もっとも伝えたいものは何か、と問われた飯倉は答えに窮した。

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