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Jリーグ 4か月前

「あの子なりに」高井幸大は人知れず苦労していた。横浜F・マリノスと川崎フロンターレの狭間で…「だからCBで育てたい」【コラム】

シリーズ:コラム text by 江藤高志 photo by Getty Images

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 川崎フロンターレからイングランドのプレミアリーグ、トッテナム・ホットスパーへ移籍した高井幸大。加入直後に足底腱膜を痛め、開幕戦は欠場の見込みだが、去年のパリオリンピック出場、FIFAワールドカップ26アジア最終予選でのA代表デビューとここまでの成長が著しい。その活躍の裏には少年期を過ごした川崎アカデミーでの日々があった。(取材・文:江藤高志)

 

「苦労してた」高井幸大の川崎フロンターレU-12時代

川崎フロンターレ U-18 時代 高井幸大

【写真:Getty Images】

 ファンフロ(クラブ公式YouTubeチャンネルの応援番組「Fan!Fun!FRONTALE」)に出ていた高井幸大のお母さんが、こんな言葉を口にしていた。

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「あの子はあの子なりにすごく努力をして。皆さん、背が高いからとかそういうことですごく恵まれたサッカー人生だと思っているのかもしれないですけど、本当にずっと努力をして今のあの子があるので」

 そんなお母さんの言葉を間接的に証明するのが佐原秀樹コーチだ。

「(小5で)入ってきた当初から大きかったけど、うまくはなかったですね。ジュニア(川崎フロンターレU-12)は徹底的に足元の技術練習を教えますが、そこで苦労してたのは覚えてます」

 川崎U-12時代の高井をそう振り返る佐原コーチは当時の川崎U-12で監督の重責を担っていた。U-11を率いていた玉置晴一コーチと共に年代に応じて必要な技術を指導した川崎アカデミーは、それ以外の所属選手とともに高井の基礎技術習得を適切にサポートしていた。

 高井が川崎U-12に加入したのは小5の時のこと。リバーFCという街クラブに加え、横浜F・マリノスが運営するスクールのスペシャルクラスでプレーしていた。だから当初、川崎のアカデミー関係者は高井が川崎U-12のセレクションを受けるとは思っていなかったという。

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