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連載コラム 11年前

元Jリーガー・西村卓朗の新たな挑戦 第3回・監督としてのデビュー。チームマネジメントの葛藤と覚悟

3月 Club management

3月4日 税理士とのミーティング
3月5日 スポーツ振興課の方に挨拶 地元ケーブルテレビに挨拶 ダンススクール会場探し(海土有木)
3月6日 日本サッカー協会の方とアルディージャのクラブハウス見学
3月7日 ダンススクール会場探し(五井駅前サンプラザビル)
3月8日 地元スポンサー企業とのミーティング
3月9日 市原市体育協会に挨拶
3月10日 選手、クラブスタッフとの懇親会

 これ以降もこのような形で日中は市原という街の方々への挨拶、接点作りがメインになった。(夜は市内のグランドで練習 19時~21時)

 クラブの事業としては総合型クラブを目指す上でサッカー以外のこともやりたかったので、ダンススクールを立ち上げることを決め、3月は会場探し、講師探し、子供集めのためのPR戦略などに時間を割いた。

 クラブスタッフは自分と選手2人の3人でやっていたが、どうしても人手がほしかったので、その人選も進めていた。

 クラブ運営に関しても、大学時代の先輩、後輩、今までお世話になったJリーグクラブの方々、サッカー協会の方々、Jリーグの方々、異業種交流会などで出会った方々など、わからないことはとにかく相談しながら進めていくようにした。

 ちなみに携帯電話の通話料金は3月は4万円を超え、妻の指示に従い安い料金の電話をもう一台持つようにした。

 千葉県選手権3位が決まり、ホッとしているのも束の間、次に起こったのは2名の主力選手の移籍だった。これには今のアマチュアチーム事情が大きく関わっている。

 双方とも学校の先生。自分がチームの指揮を執るようになってからはそれまで週に4日の練習日を6日に変え、平日の夜に練習をする機会をまずは増やすことにしていた。

 選手は皆仕事を持ち朝から夕方までは働いている。来れる日もあれば、来れない日もある。練習に遅れてくることもよくある光景で、もちろんそれはこちらも了承している。

 チームとしても上を目指すということで、自分だけではなく、チームに加わる選手のレベルも年々上がっていた。そのような現状を踏まえ、移籍を決めた一人の選手は平日練習に来れない中、このまま続けていくことは、チームにとっても、またいずれ個人レベルでも試合に絡めなくなると判断してのことだった。その選手は大学時代にはトップレベルに居ただけあって、とてもクレバーな選手で週末だけでも練習不足を感じさせない動きを見せていた。それには正直自分も驚いたが、このカテゴリーには様々な選手がいるなと改めて思う出来事だった。

 もう一人の選手は、4月の新年度から学校内での人事変更でより責任のあるポジションを任されることになった。普通であればそれは喜ばしいことなのだが、彼からすると、それは平日練習に参加できないことを意味し、ひどく落ち込み、悩んでいた。最終的には彼も別のチームへの移籍を決断した。

 自分の立場からすると2人ともチームに居てほしい選手だったが、サッカーをどこで続けていくか、どんな関わり方をするかは選手に決める権利があるし、自分も長く選手を続けてきて、試合に出ることが大切という考え方も大いに理解できる。

 2人の選手には3月の下旬に予定していたチームミーティングの場で別れの挨拶をしてもらった。
VONDS立ち上げの初年度から関わっていた選手だっただけに、まだ日が短い自分にとってもその別れの挨拶は胸に迫るものだがあった。

 そのとき思ったのが、早くセカンドチーム、サードチームを作ること。そのような受け皿を作る事で、様々な立場、レベルの人が自分のライフプランに合った形でVONDSでサッカーを続けてもらえる。

 彼らの挨拶を聞きながら、「彼らが戻ってこれる場所を早く整備したい!」。自分の中で強くそう誓った。

【次ページ】3月30日 Club management
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