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戸田和幸という生き方(後編)

前編に引き続き、ザスパ草津に所属する戸田和幸の軌跡を追う。強い上昇志向とプロ意識でW杯出場、海外移籍という扉を開いてきたフットボーラーは、その後も数々の試練に直面する。
※2010年11月取材のものです

text by 大泉実成 photo by editorial staff

【前編はこちら】 | 【サッカー批評issue49】掲載

自らに光を当てた中田英寿の存在

 前回、戸田が中田英寿を非常に高く評価している点について触れたが、中田もまた戸田を高く評価する。特に2002年にワールドカップでは、中田はMVPとして戸田の名前を挙げている。

──Jリーグでは敵として戦い、代表では共に戦ったわけですが、中田選手の印象は?

戸田 ヒデさんは、でも、たいへんだったと思いますよ。コンフェデの時かなあ。ヒデさんがヨーロッパから帰ってくるたびに、あの人にかかる期待とかプレッシャーとかがすごかったじゃないですか。メシのときに、ヒデさんとゴン(中山)さんがしゃべってんのがたまたま聞こえたんですよ。

「寝れてる?」って(ゴンさんが)聞いたら「全然寝れねー」ってヒデさんが言ってたのを憶えてるんです。でもヒデさんはそういうのを絶対外には見せないんですよ。やせ我慢なのかもしれないけど彼にはそういう強さがあって、やせ我慢ってすごく大事ですからね。

──中田さんもエリートではあるんだけれど、読売エリート組とはまた一味違うところがありますね。

戸田 違う違う。それは本人の意識の違いだと思いますよ。だから彼はあれだけ自分で考えに考え抜いてサッカーをやったり、モノを発信したりすることができるんですよ。あの人と代表でやれたということは、ものすごい刺激にもなったし、実にやりがいがありました。

 逆を言えば、あの人がいたおかげで僕は自分の仕事に光を当ててもらえた。僕が自分の仕事をすれば、後は他の人がちゃんと結果を出してくれるから、最終的に自分も評価された。まあ、必死でしたけど。ヒデさんはぶつぶつ小言を言うんですよね。

──小言が、結構来るわけですか(笑)。

戸田 そうなんです。だから、言われないように頑張らないといけない。ヒデさんによく言われたのは、セカンドボールのことですね。しっかり捕ってくれよって。僕はがさつな選手ではありません。ただ、あまり体が大きくないんで、どんだけ相手に嫌がられるかとか、どんだけ相手の自由を奪うかということを考えてきたんです。

 ヘディングひとつにしても「せーの」で跳んだら勝てない。だからどうやって相手のバランスを崩すかとか、ファウルを取られないようにどんだけしつこくマークするかっていうのを考えながらやらないといけない。その結果たまにはファウルをとられることもありましたけど、そういうとこが良かったんですかね。

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