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戸田和幸という生き方(後編)

text by 大泉実成 photo by editorial staff

イングランドでの熾烈なサバイバル

 ワールドカップで活躍をした戸田は、2003年にトッテナム・ホットスパーFCに移籍する。その前に清水エスパルスで一悶着あったのだが、それは実に戸田らしい悶着であった。

戸田 何で揉めたかっていうと、僕は大会終わった後にオーバートレーニングみたいになっちゃって、気持ちはあるんだけど体に力が入らない状態だった。まったくチームの力になれないので出場を辞退したんです。ところが会社側にそれが理解してもらえなかった。

 でもそういう時僕は引きませんから。僕は僕なりにプロとしてチームの力になろうとしてきた。ところが、自分の体調が悪くて、試合に出れるレベルじゃないのがわかっているわけですよ。

 いくらお客さんが僕を見に来てくれても、ダメなものはダメですから。でも会社から言わせるとそうじゃなくって「みんなおまえを見に来てくれてるんだ」みたいな話になると、じゃあダメな僕が出て負けてもいいんですか、ってことになるわけですよ。

 他の選手に対するリスペクトにも欠けることになりますし。

 僕は本当まっすぐですから。それに今ほどいろいろな表現は持ってなかったし、誰が相手であろうと思ったことは言ってしまう人間だったから、関係がうまく取れなくなってしまった。

──そして翌年トッテナムに移籍するわけですが、海外でやってみようっていうのは前からあったんですか。

戸田 それはありましたね、よく見てましたもん。ダービッツの映像見ながらダービッツはどこ動いてんのかなってマッピングしたりとか。ダービッツが大好きでしたね。ガットゥーゾも好きだけど、それからマケレレやロイ・キーンですね。よく見てました。ただ、自分のポジションは技術や戦術は重要なんですが、フィジカルがないとどうにもならないんです。だからそこに気を使うようになってました。

【次ページ】肌で感じた言葉の壁
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