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戸田和幸という生き方(後編)

text by 大泉実成 photo by editorial staff

肌で感じた言葉の壁

──実際に行かれてみて、まずコミュニケーションというか、言葉の問題はどうでしたか。

戸田 いやー、勉強しました。最初は全然聞き取れないんですよ。中学校レベルですから。だから1月に行ってシーズン終わるまでは苦戦の連続でした。無口でできるポジションではないですから。で、そのシーズンが終わって次のプレシーズンは良かったんですよ、レギュラーでしたし。でも結局は怪我をして終わってしまいましたね。

 今思うとあの時期練習しすぎてました。あまりにも上昇志向が強すぎて、もっと強くなりたいとトレーニングしまくってたし、それで逆に自分の体を痛めてしまったのかなと思います。しょうがないんですよね、自分は。下から上がってきた人間なので、余裕がないんですよ、常にギリギリでやってきてたから。だからワールドカップの後もオーバートレーニングになったし。

──これぐらいでいいや、というのがなかった。

戸田 分かんないんですよね。プレミアリーグでレギュラーとったわけでもないし、だからやるしかないと思っていた。もともとサッカーを長くやれるとは思っていませんでしたし、どこまで行けるかが勝負だと思っていましたから。それで肉離れになってしまったんですけど、今度は言葉の問題が出てきて、リハビリが2ヵ月半もかかってしまった。

 怪我から戻ったら、グレン・ホドルさんっていう、僕のことをすごく買ってくれていた人がいなくなっていた。向こうは3試合勝てないとクビになる世界ですから。ホドルさんがいなくなったら、紅白戦にも出られなくなっていた。あの時が一番きつかったなあ。モチベーションが保てなくなっていて、端っこで3人とか4人とかで練習するのに耐えられなかった。みんな代表クラスでしたし、必然の結果ではありますね。

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