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日本代表 10年前

「4年後はキャプテンに」。W杯では黒子に徹した清武。ロシアへ向けた決意

大舞台を目前に、控え組としてチームを盛り上げた清武。チームが勝つために何でもすると答えた男は言葉通りに献身的にサポートに回った。出場時間はわずか5分。日本代表の敗退が決まった翌日、次は自分が引っ張る立場になることを静かに宣言した。ザックジャパンのブラジルでの戦いを総決算した『フットボールチャンネル03』(8月5日発売)より抜粋する。

text by 神谷正明 photo by Getty Images

「チームが勝つためになんでもする」

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清武弘嗣は邪念を持たず、日本代表の一員として戦うことだけに集中してW杯に臨んだ【写真:Getty Images】

「腐っている人はここにはいないと思っていた。みんな最後までチームのために出来ることをやっていたと思うし、チームのことを第一に考えて動いていたんじゃないかなと思う」

 清武弘嗣は邪念を持たず、日本代表の一員として戦うことだけに集中してW杯に臨んだ。選手であれば誰だって世界最高の舞台に立ちたい。すぐ手の届く場所にいればなおさらだ。控えという立場を受け入れ、チームをサポートしていくことは精神的に容易な作業ではない。

 しかし、清武はチームの和を乱すことなく、むしろサブ組のなかでも率先してチームを支えた。

 どんな立場になったとしても、自分の出来ることに全力を尽くすと大会前から覚悟を決めていた。コートジボワール戦を3日後に控えた11日、夕食を終えた選手たちはミーティングを開いて一人ひとりが思いの丈を語ったが、清武はそのとき、みんなの前でこう宣言したのだった。

「チームが勝つためになんでもする」

 清武がそういった決意を見せた背景には2012年のロンドン五輪での経験があった。

 この大会に出場した清武は、選手ミーティングが行われたことで選手全員が一致団結。前評判を覆すベスト4という好成績を残せたと感じていた。清武は「ああいうミーティングがあったからこそ、チームが一つにまとまってあそこまで行けたと思う」と当時のことを振り返る。

 だからこそ、今回のミーティングでもはっきりと、自分の考えをチームメートたちに伝えたのだった。

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