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日本代表 10年前

ザックジャパン、W杯招集外の功労者たち。前田、ハーフナー、中村憲剛、細貝らが支えた4年間

text by 河治良幸 photo by Getty Images

苦渋の決断だった中村憲剛の落選

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中村憲剛はスタメンに次ぐ主力として貴重な役割を担ってきた【写真:Getty Images】

 中村憲剛はボランチとトップ下の両方を兼ねる存在だが、彼がトップ下に入った場合は役割的に、ボランチの延長線上と考えていい。一時期、彼が“本田の代役”と言われたがトップ下でも役割はよりボランチに近いということだ。

 中村は2011年のアジアカップや3次予選では外れていたものの、最終予選で継続的に招集され、スタメンに次ぐ主力として貴重な役割を担ってきた。本田を欠いた試合でトップ下をつとめるだけでなく、攻撃のリズムが出ないときに気の利いたボール捌きで流れを変える。言うなれば“チームの潤滑油”であったのだ。

 昨年は快進撃を続ける川崎の司令塔に君臨し、「中村史上最高」という言葉も話題になったほどコンディションも良好に見えたが、コンフェデの後は一度も招集されないまま、最終的には予備登録のリストに回った。

 ザッケローニ監督にとっても苦渋の決断ではあったはずだが、試合のリズムを掴めないままW杯が終わってしまったこと、大久保が最後までチームにフィットしきれなかったこと、それらを総合するとやはり最も必要な選手の一人だったのではないか。

 若手の良き相談役としても貴重な存在になったはずだ。実際に彼を本大会で欠くことのリスクを指摘する声も多かった。

 細貝萌は遠藤保仁、長谷部誠に続く3番手として位置づけられていたが、終盤の守備を引き締める存在としては主力の二人よりザッケローニ監督に信頼されていた。ドイツではレバークーゼン時代になかなか出番を得られない時期もあったが、アウクスブルク時代の恩師であるルフカイ監督が率いるヘルタ・ベルリンに移籍していた昨シーズンは、欧州組のなかでも最も継続して試合に出ていた選手だ。

 常連メンバーの中でもコンディションの不安が少なかった彼をザッケローニ監督が外した最大の理由が、攻撃の起点として不十分だったということだろう。

 ドイツでは正確なパスで多くのチャンスを作っているが、日本の細かくボールを回すスタイルには馴染むことができなかった。「組み立てのところはしっかり伸ばしていきたい」と語っていた細貝だが、スタートから出た試合では攻撃のリズムを作っていくことができなかった。

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