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広島新スタジアム建設騒動、何が問題か? 時系列で辿る、論争の経緯

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旧広島市民球場

1945年8月6日 広島に原子爆弾が投下される

1949年    広島平和記念公園設計協議に丹下健三氏の案が当選する

1957年    旧日本軍跡地(現在の広島市中区)に旧広島市民球場が完成

1992年    広島市安佐南区に広島ビッグアーチが完成。

1998年    久保允誉氏がサンフレッチェ広島社長に就任

1999年    秋葉忠利氏が広島市長に就任(3期12年)

2004年11月  近鉄とオリックスの合併に端を発したプロ野球界の再編問題。カープの存続を危惧する声。新球場建設の機運が高まり、広島市が「新球場建設促進会議」を設置。

2005年9月  建設場所をヤード跡地とする「新球場建設の基本方針について」発表

    10月 広島市議会で球場跡地についての質問と答弁が出る。この時点で答弁に「多機能サッカースタジアム」という言葉は入っている。

2006年3月  広島市、「広島市民球場跡地利用検討会議」を設置
   
   6月 「広島市民球場跡地利用検討会議」報告。サッカースタジアムの記述なし

       市長、「サッカースタジアム専用は市民が日常的に使用できない」と答弁 

2007年11月  2009年3月竣工を目指して新球場の工事着工

2009年3月  Mazda Zoomzoomスタジアム完成

2010年9月  2020年オリンピック招致に向けて広島ビッグアーチ改修案が提示

2011年4月  松井一實氏が広島市長に就任。

   10月 「旧広島市民球場跡地委員会」初回会合。

2012年3月  広島市、「旧市民球場跡地委員会」最終報告を受け、旧市民球場跡地の活用方策を発表。サッカースタジアムは他の未利用地でよいとされる。

   9月  サンフレッチェ、『START FOR 夢スタジアム 広島」をキャッチフレーズにサッカースタジアム早期建設実現のための署名活動を開始。

2012年1月  広島県サッカー協会、サンフレッチェ広島後援会、サンフレッチェ広島の3者がサッカースタジアム早期建設実現の署名約37万を広島県、広島市に提出。
      
   12月 松井広島市長、「3度優勝したらスタジアムを考えていい」発言

2013年5月 「サッカースタジアム検討協議会」設置。名義は広島県サッカー協会、広島県、広島市、広島商工会議所。

   6月 「サッカースタジアム検討協議会」初回会合。

   12月 松井市長、「サンフレッチェは2位でいい」発言

2014年4月 「サッカースタジアム検討協議会」中間とりまとめ報告。

   11月「サッカースタジアム検討協議会」(計19回)最終報告。各19回の議事録はまだ公開されていない。広島県サッカー協会HPに『広島に相応しいサッカースタジアムについて』掲載。中央公園自由広場・芝生広場等」、「旧広島市民球場跡地」、「広島みなと公園」の3案が検討され、委員11人のうち、「広島みなと公園」を5人、「旧広島市民球場跡地」を4人が推す。

2015年1月  広島市、旧市民球場跡地の空間づくりのイメージ発表。サッカースタジアムの文字はなし。

   4月  松井市長、再任。 

   7月  湯崎広島県知事、松井市長、深山広島商工会議所会頭がサッカースタジアムに関する会談。「旧市民球場案」は拡張、複合化が困難とされ、周辺地域の活性化に寄与するとされる「広島みなと公園」が優位に。

      上記会談を受け、市民有志が広島市へ陳情提出。議事録が公表されていないなど議論経過が不透明だった過去の「サッカースタジアム検討協議会」の議論を白紙撤回し、新たなスタジアム協議会設置を要望。

   10月 広島市、「サッカースタジアムに係る事業の実現可能性調査業務」のプロポーサルを実施。14年11月の「サッカースタジアム検討委員会」最終報告を民間企業に公募し、調査を行うもの。
   
   12月 サンフレッチェ、三度目のリーグ優勝

2016年2月  県、市、商工会議所の事務レベルの作業部会が概算予算を旧広島市民球場跡地だと260億円、広島みなと公園だと180億と算出。

   3月  サンフレッチェが旧市民球場跡地に「ヒロシマ・ピース・メモリアル・スタジアム」建設の提言をHPに掲載。

【了】

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